Antiquity in my Closet

我が子と近所に保存してある機関車をみていたら、幼少の頃父に買ってもらった鉄道模型を思い出し、40過ぎから模型工作を始めてみました。「鉄ちゃん」のイメージから、なんとなく家族には言えず、押入れの中にひっそりと・・・幼少のころ父とみた古の機関車の記憶。

マイクロエースのD52 468号機ディテールアップ5 -火室・キャブ下回り、テンダー

 久しぶりにD52468の続きの作業をしました。

 今回は、主に火室周り、火室下~キャブ下の配管類、泥溜め、空気分配弁、ニ子三方コック、チリコシ、公式側の速度検出装置、ランボード上のオイル箱あたりを追加していきました。

 

 また、前面の標識灯、テンダーの後部の吊り金具と標識灯、テンダーのステップ(製品のものは折れてしまっていたので)、増炭囲い板、テンダー前部の手摺も取り付けています。


 製品の汽笛も折れてしまったので、新たに交換しています。

D52468号機 ディテールアップ 公式側

D52468号機 ディテールアップ 非公式側

D52468号機 ディテールアップ 前面

D52468号機 ディテールアップ 後部

 
 泥溜め・標識灯・ステップ・ニ子三方コック・オイル箱・汽笛は銀河モデル製。空気分配弁・チリコシはワールド工芸。速度検出装置はロッドを真鍮線で、ステーはパーツの端材で、ロッドの端部は配線カバーの細いもので作っています。増炭囲い板もパーツの端材です。石炭部分を両サイド削って付けています。
その他配管類は真鍮線です。

 

D52468号機 ディテールアップ マイクロエース

D52468号機 ディテールアップ マイクロエース製品

D52468号機 ディテールアップ テンダー

 残すはテンダー下部の配管、キャブ窓周り、オイル箱の前の小箱、テンダー後方手摺、キャブ前方窓防護網、キャブ窓バタフライスクリーン、キャブ防寒カーテン、石炭水撒き管くらいでいいかなと思っています。

 

 これらが出来たら塗装していきますが、このペースだと来年になりそうですね。

 

懐かしの青函連絡船「摩周丸」

 数年前の写真を見ていたら、函館に今は博物館として係留中の青函連絡船摩周丸」の写真がありました。摩周丸がまだ現役の青函連絡船として就航していた小学生のころ、父に連れられて1度だけ青函連絡船に乗船した記憶があるのですが、この時の船が摩周丸だったと記憶しています。もう当時の写真はありませんが、なんとなく記憶の片隅に残っています。懐かしい記憶です。

青函連絡船 摩周丸

 簡単に、この船の経歴をwikipediaから抜粋します。

1964年(昭和39年)12月2日 - 三菱重工業神戸造船所にて起工、1965年(昭和40年)6月15日 - 竣工。
6月21日 - 11時05分函館港回着(函館2岸)
6月24日 - 函館3岸9時05分発 茂辺地沖で速力試験の後、14時40分沖発、青森2岸19時20分着の7210便より試運航開始、6月30日 - 函館2岸12時25分発、青森2岸16時45分着20便より青函連絡船として就航
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1988年(昭和63年)3月13日 - 青森2岸15時00分発 函館1岸18時50分着の5便で終航

摩周丸 サイドビュー1
摩周丸 サイドビュー2
摩周丸 サイドビュー3

青函連絡船 摩周丸 やや後方から

摩周丸の船名表示

 青函連絡船で今残っているのは、青森港のメモリアルシップ八甲田丸とこの摩周丸だけ。過去の産業遺構が失われていくのは仕方のない事です。特に船となると機関車の保存よりもさらに難しいのでしょうね。海は錆の進行が早そうですし、使わない大きな船を陸にあげて防錆することもしないでしょうし。

 函館の海に連絡船がある風景。いつまで見ることができるだろうか。大事にしたい風景ですね。

車輛が出入りしていたゲート

ここに線路も残していてくれたら、連絡船の特殊なところが分かってよかったのにな。といつも思います。ここから車両が入っていくのが、連絡船ならではでした。

函館港

函館港の風景はいつみても良いです。

 

青函連絡船関連の書籍

鉄道連絡船細見 (キャンブックス)

鉄道連絡船細見 (キャンブックス)

  • 作者:古川 達郎
  • ジェイティビィパブリッシング
Amazon

 

 

 

天賞堂から青函連絡船が出ているとは驚きです。

 

札幌ビール園・静態保存の頃の9643号(2014年6月)


 懐かしい写真が出てきました。サッポロビール園で静態保存されていたころの9643号機です。

札幌ビール園9643号 -1

札幌ビール園9643号 -2

札幌ビール園9643号 -3

札幌ビール園9643号 -4


 9643号機は、今現在はニセコ町ニセコ駅前に保存されています。
 2017年の春にニセコに来る前は、札幌市のサッポロビール園に保存されていました。写真は2014年6月のもの。現在、ニセコで見ることができる9643よりは見た目がくすんでいて、いかにも放置された静態保存機という感じ。サッポロビール園の改修に伴い、行末が案じられていたところ、井門コーポレーションが札幌ビ―ル園より譲渡を受け、保存先として現在のニセコ駅横での保存となりました。

 

 ニセコへの移設の後、修繕もされていて、見た目はとても綺麗に、今にも動き出しそうな姿になりました。

 

 9643号がニセコに来てからの記事に書いていますが、この機関車は元は国鉄の9643号ですが、現役時代のほとんどを道北の日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道で過ごした機関車です。
この記事に書きました。

 

 ちなみに、上の記事の時の写真は、前面がブルーシートに覆われた姿でしたが、先日ニセコに用があり、前を通ったので、前面ブルーシートが無い姿を撮ってきました。相変わらず素晴らしい姿です。

ニセコ駅横 9643号 -1

ニセコ駅横 9643号 -2

ニセコ駅横 9643号 -3
ニセコ駅横 9643号 -4

ニセコ駅横 9643号 -5

 

 一方、倶知安の79615はかなりのスピードで腐食が進んでおり、このままではあと数年後には解体に話が向かってしまうのではないかととても心配しています。錆の進行は著しく、色々なところがポロポロとサビ落ちています。

 

 新幹線開業で倶知安駅跨線橋やSL時代かあった信号塔などの遺構は、先日全て撤去されました。転車台はかろうじて残っていますが、こちらも79615同様、腐食が進んでいます。倶知安町の行政にはこういう文化遺産を遺すという意思はなさそうです。

 

 一時期は機関区が存在し、鉄道の街として歩んだ歴史を無くして、倶知安町の町史は語れないと思うのですが、在来線も廃止が決まった倶知安は、古き良きものを捨て去り、庶民の足として街の発展に貢献した記憶の1ページを消し去ろうとしています。せめて、SLの遺構だけは大事にできないものでしょうか。

 

 

マイクロエースのD52 468号機ディテールアップ4 -ボイラ配管など

 D52 468号機の加工を久々にやっています。丸1年半くらい、Nゲージの工作を休止していたので、再びやり始める事ができるかどうか心配でしたが、何とかちょっとずつ進めていきます。

 今回は配管類です。火室上部の配管やボイラ側面の配管、煙突・給水温め器周りの配管を、写真を見て思いつくままに0.2~0.4㎜の真鍮線を曲げ曲げして、ボイラに装着していきます。火室上の配管は実物の写真が見つけられなかったので、C62のものを参考にして付けました。

D52468ボイラー配管施工-1

D52468給水温め器周り配管施工

 配管類は、本来は割ピンを通してボイラに挿すのがセオリーですが、最近目が悪くなり細かい割ピンの作業が難しくなってきました。今回は割り切って、瞬間接着剤で管ごと接着して付けました。細かい作業はもう無理です。

D52468ボイラー配管施工-2

 また、D52の特徴的なボイラのドーム下あたりの側面に付いている短い梯子も取り付けました。これは、レボリューションファクトリーのハシゴというパーツです。テンダーに付けるためのハシゴだったと思いますので製品は長いのですが、短くカットして付けました。

D52468 前面加工 デフステーなど

 デフの前側のボイラーに渡すステーは製品のような板状では無く、ロッド状になっていて、付いている位置もデフの前側切り欠きの途中に付いてあります。そういうわけで、製品のものを撤去し、真鍮線でロッド状のステーを渡しています。

 キャブも少し手を加えました。屋根の吊り金具(レボリューションファクトリーのテンダーフック)と、運転席後方の配管?手すり?を製品のものを切り取り、真鍮線で作っています。

D52468公式側

D52468非公式側

 今のところはココまで。次は火室下部の配管・キャブ下の配管、テンダーに移っていきながら、他に出てくる気になるところをつぶしていく作業です。

 改めて、ボイラーを動力に載せ写真を撮ると、やはりマイクロエース。腰高ですね。テンダーとキャブの高さに違和感があります。そのうち何とか出来ればいいなと思いますが、まずはディテールの修正が先です。完成はいつになることやら。

↓これまでの加工

antiquity-closet.hatenablog.com

↓ベースとした模型車両(マイクロエース D52 468 梅小路機関区)

 

D51 146号機の工作‐追加(KATO D51リニューアルモデルから)

 久しぶりの模型です。こちらはD51146号機。現在も真岡鐵道で動態保存されているとても幸せな機関車です。

D51146 回転火粉止 TOMIXパーツ交換-1

 模型は現役当時、長万部機関区所属の頃のものを再現しようとKATOの2016 D51標準型を弄ったものですが、いまいちと感じていたところの1つに、煙突の回転火粉止がありました。

 KATOのD51標準型の煙突には回転火粉止がついていません。銀河モデルの回転火粉止を付けていたのですが、どうも高さがありすぎなのと、前側にチョンと出ている突起物が無いのと(これは端材で付けてみましたが)で、同じKATOのD51北海道型の回転火粉止と比べるとお粗末な感じを受けていました。

D51146 回転火粉止 銀河モデルパーツ-1
D51146 回転火粉止 銀河モデルパーツ-2

 そう感じていた頃、TOMIXのC57135を入手した際、TOMIXのC57に予備の回転火粉止が付いていて、余剰パーツとしてストックできたのです。そのうちD51146のものをこれに替えようと思っていましたが、ようやくこれを交換しました。

D51146 回転火粉止 TOMIXパーツ交換-2

 TOMIXのC57煙突用ですが、KATOのD51にもジャストサイズで収まりました。付いていた脚が少し長かったのでこれは少し切りましたが、ほとんど無加工で付きました。一旦煙突に接着していた銀河の火粉止を外すのに少し苦労しましたが、何とか元の煙突の形を崩さずできました。

D51146 回転火粉止 TOMIXパーツ交換-3

D51146 回転火粉止 TOMIXパーツ交換-4

D51146 回転火粉止 TOMIXパーツ交換-5

 銀河のものも無いよりは良いのですが、やはり最近のプラ製品の技術は素晴らしい。ディテールが細かいです。C5757と並べてみます。

D51146 回転火粉止 TOMIXパーツ交換-5

 良い感じです。

 今日はこれだけ。20分程度の作業です。

↓過去のD51 146号機の加工は以下参照

↓今までの最新記事

antiquity-closet.hatenablog.com

長万部の跨線橋(中央跨線橋)撤去の悲報

 北海道新幹線の延伸工事の影響で、長万部の駅前から長万部温泉街まで渡るための跨線橋(中央跨線橋というらしい。)がどうやら姿を消すことになったようだ。

夜の中央跨線橋

駅から見える中央跨線橋

 この中央跨線橋は1973年に設置されたそう。私が生まれた頃にこの跨線橋も出来上がったようで、なんだか名残惜しい感じがする。生まれ故郷に古くからあったこの橋。小さい頃はここの橋の高さに渡るのが少し怖く感じた跨線橋。小学生の頃はここから機関区にある機関車などを眺めるのが楽しかった記憶もあるが、やはりその高さが苦手だった。

 

 とはいえ、鉄路の駅側と住宅街のある温泉街側を渡るには一番早い道。町民ならば馴染みの跨線橋であることは間違いない。

 

↓馴染みのある長万部駅

長万部駅舎は変わらず

跨線橋から長万部駅を望む

跨線橋から長万部駅を望む

室蘭線の貨物列車が通過した。

貨物列車通過

 新幹線の札幌延伸で新しい長万部駅が高架化されるため、工事の支障になる跨線橋の撤去が決まったそうで、今月いっぱいで通行は出来なくなるようだ。

 

 一昨年の夏に一度、訪れる機会があった。相変わらず高いなと思ったのと、今はもう全く無くなった機関区の遺構に寂しい感じを受けた。

長万部機関区があった場所

長万部機関区跡

跨線橋の反対側に車庫だけある

 そして遂に、函館本線 山線の長万部~小樽間の廃止も決定してしまった。先日、長万部~小樽間140.2kmの全9市町が協議会を開き、バス転換に同意したのだ。これにより、鉄道廃止が事実上確定した。

↓山線から普通列車が入る。

山線から入る普通列車

  四半世紀、この函館本線 山線の盛衰を見てきたこの跨線橋が山線の廃止の決定とほぼ同じく撤去となる。まるで山線の最後を見るのを拒むかのように。

 

函館本線山線の風景とその行末

 函館本線長万部から小樽間のいわゆる山線。古くはC62が重連で10両より多い編成の急行を牽き、特急列車も走っていた鉄路。今は数時間に1本1両~2両の気動車が走るローカル線である。

 

 先日、2030年度末の北海道新幹線幌延伸に伴い、JR北海道から経営分離され、存続が難しくなっている長万部~小樽間について、JR貨物が「災害時の代替ルートとして活用するには課題がある」と見解を示したというニュースがあった。

 

 また、沿線の自治体では、全線鉄路維持を選んだ自治体はなく、余市―小樽間の鉄路存続は余市町のみだった。仁木町、共和町、倶知安町は全線バス転換、長万部町は町内のみバス転換を容認していたが、先日、方針を保留にしていたニセコ町黒松内町も全線バス転換を支持する方針を固め、沿線9市町のうち方針未定は、小樽市と同管内蘭越町の2市町のみとなった。最早、存続は難しい状況となったようだ。

羊蹄山と函館本線 山線


 通勤の途中で尻別川とその川沿いを走る山線を跨ぐ橋を通る。蒸気機関車の時代には存在してなかった橋だが、数年前のC11の牽くSLニセコ号やそれが消えたあとの特急ニセコ号の格好の撮影場所となっているようで、その時期には鉄路の写真を撮る人をよく見かける名所である。

凍てつく尻別川の川沿いを山線のH100系が走る

 歴史的な鉄路が消えていくのはとても寂しい事だが、時代の流れを止めることはできない。便利さの陰に失われていくものがあることは世の常。鉄道は趣があるけれども、お値段の高い乗り物。新幹線になると猶更。速いし便利ではあるが、そんなに速さは求めていないので、ますます車に頼る生活になるだろうな。子供たちは新幹線が走るのを楽しみにしている。一度は乗せてあげたいなと思うが、そのころにはもう大きくなってるか。それも時代の流れ。

 

 ここで鉄路がある風景を眺められるのもあと数年。良い風景を記憶にとどめておこう。