Antiquity in my Closet

我が子と近所に保存してある機関車をみていたら、幼少の頃父に買ってもらった鉄道模型を思い出し、40過ぎから模型工作を始めてみました。「鉄ちゃん」のイメージから、なんとなく家族には言えず、押入れの中にひっそりと・・・幼少のころ父とみた古の機関車の記憶。

C62 2号機 ディテールアップ 軽加工(その2) KATO C62北海道形から

 今日は久しぶりにC62 2号機スワローエンゼルを取り出しました。

 KATOのC62 2号機、3号機の北海道形は、本当によくできたNゲージ模型で、手を加える必要性はあまり感じません。

 

 小学生の頃、KATOの旧品番のC62を父に買ってもらい、当時C62ニセコ号として復活したC62 3号機に何とか似せようと努力してデフに穴を開けたり、重油タンクをプラ板を重ねて作ってみたりとした記憶が懐かしいです。当時は今のようにインターネットで情報を調べたりできず、通販なども難しい時代でした。田舎町の小学生には、銀河モデルなどのディテールアップパーツを入手する術はありませんでした。結局ほとんど何もできず、「鉄道模型趣味(これは近所の書店に置いていた。)」などの雑誌にあった作例や、1度だけ倶知安まで行って撮ったC62 3の実車の写真と比べて、似てないところをどうしたらいいのか途方に暮れたものです。今手元にあるC62は2号機と3号機の作り分けまでなされていて、当時の私がみたらパーフェクトな一品でしょう。

C62 2 北海道形 -1

 本当に下手に手を加えてしまうことで、駄作にしてしまうような気がして気が引けていたのですが、少し気になるディテールで、簡単に追加できそうなところに手を加えてみることにしました。
 今日はC62 2号機 北海道形の軽加工 その2です。写真は加工後です。

C62 2 北海道形 -2

C62 2 北海道形 -3

C62 2 北海道形 -4

C62 2 北海道形 -5

 今回は以下の箇所の加工をしました。
①空気作用管の配管止め・・・これは「Nゲージ蒸気機関車」様のサイトを参考にしました。黒塗りしたマスキングテープを細く切り出し、所定の場所に貼っています。マスキングテープの粘着が弱く、細かな作業で結構疲れました・・・。

C62 2 北海道形 -6

②ATS車上子の交換・・・銀河モデルのパーツを使いました。製品のものを切り取り、テンダーを分解し、裏からパーツを貼っています。このパーツ、D51の加工でも使いましたが、線が細い(板が薄い)ので台車を付けるまで壊れそうでいつも心配です。

C62 2 北海道形 -7

C62 2 北海道形 -8

③蒸気暖房ホース・・・銀河モデルから出ているのですが、通販で買うと送料もかかって高いので、真鍮線で自作しました。真鍮線(0.4mm)を似たようなな形に整形して、末端に細い導線のカバーを付けています。フックの部分は0.3mmのプラ板の細切りです。全体的にちょっと大きすぎました。

④テンダー後部のネズミ返しのゼブラ塗装・・・ラベルシールにゼブラ模様を印刷して貼ってます。(これは少し前に貼ったのですが、既に色が取れてきました。)

C62 2 北海道形 -9

⑤デフ‐ボイラに渡す架線注意表記・・・0.2mmの真鍮線をデフ-ボイラに渡し、そこにレボリューションファクトリーの架線注意ステッカーを貼りました。


⑥ドーム前手すり交換・・・これは交換すべきかしないべきかかなり悩みました。銀河モデルのものは、C62には明らかに少しオーバースケールです。しかし線は細い。どちらを取るべきか・・・です。悩みましたが線の細さを取りました。所有する他のD51北海道型もこれに変えているので、製品の太さがどうしても気になるのです。製品の手すりを切除し踏板を少し削り、銀河モデルの手摺が付いたドーム前踏板を貼りました。

C62 2 北海道形 -10

⑦増炭版・・・製品のテンダーにある増炭版は木目を表現した波々模様が不自然です。思い切ってこの模様をやすりで削ってしまいました。(削ったつもりが薄く残っています)

 以下は、C62 2号機に特化した工作です。
重油併燃タンクの上面の左手摺の削除・・・ネットで他の方の作例を見ていて、C62 2号機にはこの箇所の手摺がついていないという事を知り、実車の写真を調べてたらも確かにそうでした。製品のモールドを削りました。

C62 2 北海道形 -11

⑨煙室扉手摺留め部・色挿し・・・これもC62 2号機で良く拝見する作例です。手すりを外してタミヤのペイントマーカーで塗ってみましたが、色付きが良くなく、手すりを再取り付けする際に剥がれた箇所があります。逆にはみ出しもあり。今度また再塗装しようと思います。

C62 2 北海道形 -12

 今日の作業は以上です。


 本当に些細なところばかりの加工ですので、さほど効果が分からないかもしれませんし、加工が下手なので元のままの方が良かったかもしれません。しかし、これがまさに楽しさなのですね。

 このC62 2。蒸気機関車末期の函館本線急行「ニセコ」の運用では、スター的存在として知られています。しかし、実際は、あまり調子は良くなかったという事は、函館本線のC62が好きな方は大方ご存知の事実です。C62のWikiに、こんな記事を見つけました。


函館本線の山線(長万部~小樽)区間の急行運用は、C62が北海道に投入される前はD51重連でした。C62が投入されてからは、C62形重連、または前部補機D51形と本務機C62形による重連に変更されました。C62重連では、除煙板に「つばめマーク」が取り付けられたC62 2号機が重連の先頭に立つ「前補機」となる運用が多かったようです。これはファンサービスが目的ではなく、C62 2号機を前補機で運用すると、前補器は長万部駅でその日のうちに折り返して検修陣の待つ小樽築港機関区に帰着できるというメリットがあるためでした。


 本務機は、函館まで行くので、翌日まで小樽築港に帰れず、基本的に検修がノータッチとなります。しかも海線での高速走行を行う本務機は負担が大きいものでした。つまり前補機は運用による負担が軽く、東海道時代から不調気味で乗務員からも信頼の薄いC62 2を前補機として限定運用することは、検修側・運用側の両者にとって望ましかったようです。


 乗務員経験者の談話では、「小樽のC62は1両1両特徴がありました、C62 2号機は息づかいが弱いというか力がなかった、C62 3号機は安心して乗れるカマでした。」と話されており、また検修責任者も「C62 2号機は蒸気騰がりが良くなくて、できるだけ函館までの往復仕業には投入しないようにいていた」と話していたそうです。また「C62 2号機の廃車を何度も札幌鉄道管理局に要請したが聞き入れてはもらえなかった、人気のある車両だったからでしょうか」とも話されていたそうです。」


 不調な機関車。私も年齢を重ね、ちょっと無理をすると体を傷める事が多くなってきました。C62 2は、実は調子が悪かったのに、「つばめ」を背負ったスターであったために、働かざるを得なかった。同情してしまいます。

 

↓ 今までの加工はこちら。

  そういえば、こんな本が出ているのですね。中古でも高価になっていて、手が出ませんが、元の値段で売っているならば、是非見てみたいものです。

 

 Nゲージ C62 2 北海道形 KATO  2017-2はこちら ↓