Antiquity in my Closet

我が子と近所に保存してある機関車をみていたら、幼少の頃父に買ってもらった鉄道模型を思い出し、40過ぎから模型工作を始めてみました。「鉄ちゃん」のイメージから、なんとなく家族には言えず、押入れの中にひっそりと・・・幼少のころ父とみた古の機関車の記憶。

Tomix C57 135から 室蘭区 C57 57 を作る-6(架線注意・蒸気暖房ホース)

C5757号機の追加作業です。何を追加したでしょうか。

C57 57号機 表記類の追加

C57 57号機 非公式側斜め前方から

「架線注意」の文字表記とテンダー後妻のゼブラプレートの貼り付け。蒸気暖房ホースの製作・取り付けを行いました。

 

「架線注意」表記は、電化区間を走る場合がある車輛に貼られていました。煙突の清掃やヘッドライト交換、ボイラー上に上がる際、架線の存在が無いか確認しなさいという注意喚起のための表記で、作業員の感電を防ぐ目的の表示でした。

 

 機関車にこれでもかと何枚も貼られているのを見ると、感電する事故やヒヤリハットが実際結構あったのでしょうか。

 

 函館本線を走っていた蒸気は、小樽-札幌-滝川の交流電化区間があったので架線注意表記が貼られていました。C57 57に貼られている架線注意も小樽時代の名残なのでしょうか。確かに長万部区の瀬棚線や山線黒松内までの運用のC11などには架線注意は付いていません。

一方、倶知安区で岩内線胆振線での運用だった79618には表記があったようですが、それは何故だったのでしょう。小樽まで行く事があったからなのか。さらには五稜郭区のD52などは電化区間を走る事が無かったにも関わらず架線注意表記があります。函館区のキハ21も同様架線注意表記ありですね。

 

なぜなのでしょう。謎が残ります。

 

「架線注意」の文字表記は、レボリューションファクトリーのステッカー状のもので、ゼブラプレートはラベルシールへの自作プリントアウトです。ゼブラプレートも架線注意のための表記です。文字表記のある機関車正面のデフとボイラーの間は、0.2mmの真鍮線を渡して、その上に架線注意シールを貼っています。他、ボイラー側面とテンダー後妻手摺に1枚ずつ。

C57 57号機 公式側

C57 57号機 非公式側

蒸気暖房用ホースは、0.3㎜真鍮線と、エッヂングパーツの切れ端でそれらしい形に作りました。本当は銀河モデルのものを入手できれば良かったのですが、少しお値段が高く、売っているところが少なく入手も難しそうだったので、自作にしました。

C57 57号機 蒸気暖房用ホース自作

C57 57号機 テンダー後妻

加工は以上です。

C57 57号機 前方架線注意表記追加-PIC1

C57 57号機 前方架線注意表記追加-PIC2

C5757号機の経歴を見てみます。

C57 57は1938年5月に川崎車輛兵庫工場で製造され、大阪梅小路区に配属されました。その後、戦時中を経て1949年まで、梅小路、宮原、梅小路、尾久、岡山、仙台と本州各地で活躍しました。
1949年に渡道、小樽築港機関区に配属されます。

 

1954年にはお召し列車牽引の大役にあたります。8月9日、長万部ー虻田間・伊達紋別東室蘭間、10日、登別ー夕張間、11日、岩見沢ー砂川間、18日、帯広ー小樽間、21日、小樽ー札幌間と全道各地をお召列車を牽いて走ったようですね。

 

小樽築港機関区には、1959年から1968年まで在籍していたようです。1968年函館本線滝川ー小樽電化により小樽での活躍の場が無くなり、室蘭機関区に移ります。室蘭には1969年の10月までいたようです。わずか1年間の在籍。

 

室蘭区所属の頃の写真では、まだ重油タンクはボイラーに乗っかったままです。前照灯の副灯は小樽の最後の方から付いていたようです。しかし小樽の頃にあったタブレットキャッチャーは外されており、煙突の回転火の粉止めも皿型から円筒型になっています。

 

前の記事で述べているように、参考にしたモデルはこの頃のC5757です。

 

その後、苗穂区に移り、1974年7月、岩見沢第一機関区に配置、1976年廃車となっているようです。走行距離は,3,365,110km。
廃車後は東京都世田谷区の大蔵運動公園で静態保存中です。一度見てみたいものです。

 

↓改造のベース車はTOMIX C57 135