Antiquity in my Closet

我が子と近所に保存してある機関車をみていたら、幼少の頃父に買ってもらった鉄道模型を思い出し、40過ぎから模型工作を始めてみました。「鉄ちゃん」のイメージから、なんとなく家族には言えず、押入れの中にひっそりと・・・幼少のころ父とみた古の機関車の記憶。

KATO C11 171 入庫

久しぶりのNゲージ蒸気機関車の入庫です。

歳を追うごとに目が悪くなり、Nゲージの工作ももう無理ではないかと思っているのですが、ついつい手が出てしまいました。

KATOのC11 171号機。北海道に唯一残る動態保存機。現在の姿です。

KATO 2021-1 C11 171 Nゲージ

SLニセコ号牽引のC11171

今は無きSLニセコ号で一度実機が牽引する列車に子供と一緒に乗ったことがあり、思い出に残る蒸気機関車です。残念ながら今は道東の方だけで運用されているので、実物を見ることは難しくなってしまいました。

 

KATOのC11 171は、現在の姿をよく再現しており、本当に良くできています。今の模型は本当に非の打ちどころの無い完璧な姿で、加工などするのがもったいなく感じてしまいます。

 

私の模型は全て現役当時の姿なので、例によってこちらのC11 171もいずれは現役当時の姿にします。

以前、トラムウエイのC11で171号機の現役の姿を作りましたが、動力を故障してしまい不動となり、静態保存機になってしまいました。

 

これから、このKATOのC11を瀬棚線で活躍していたころの現役の171号機の姿に加工していくのですが、まずは、今の素晴らしい製品の状態を記録しておきます。

C11171 KATO

C11171 KATO Nゲージ

C11 171は現役最後の時期、道東に行ってから前面の手摺が変更になったり、旋回窓が付いたりしています。また、動態保存で復活した際には、回転火の粉止めやキャブ下の防護板、コールバンカーの無線アンテナ、単線用のスノープロウを付けています。
これらが忠実に再現されています。

C11171 KATO Nゲージ

C11171 KATO

C11171 KATO

C11171 KATO

これらを現役時代の瀬棚線のC11171に戻す作業。
ちなみにC11171は1956年から1974年3月まで長万部機関区にいたようです。

 

作業をいつから開始できるか、まだ分かりませんが、久しぶりのNゲージの加工、しかも完成度の高いKATO製。失敗しないように慎重に。

 

AMAZONで1万円を切っているのですね。今がお買い得!

前はトラムウエイの加工をしてみました。2019年でした。懐かしい。

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苫小牧市科学センターのC11 133号機

先日、苫小牧市に行ってきたので、静態保存されているC11を見てきた。

C11 133号機 苫小牧科学センター 静態保存機

苫小牧市の科学センター前庭に置かれているC11 133号機。看板に愛称は「たるまえ号」とある。

C11 133号機 正面 苫小牧科学センター

C11 133号機 後部 苫小牧科学センター

苫小牧なので、いかにも日高線で活躍していた機関車のように思えるが、この釜は現役時代は深川(留萌線深名線)、釧路(標津線釧網線)で運用されていたようで、苫小牧には縁がなかった釜であったようである。

 

C11 133号機は、C11の2次型。1938年(昭和13年)に汽車製造株式会社(通称汽車会社)が新製。

C11 133号機 側面 苫小牧科学センター

C11 133号機 苫小牧科学センター 側面

当初は本州の配属となったようだが、1941年には北海道、深川区に移動となり、その後は深川区朱鞠内支区を経て、1949年に釧路区標茶支区に配属、標津線で活躍していた様子。1966年から1974年の廃車になるまで釧路区に所属。

C11 133号機 苫小牧科学センター 館内から

廃車後、青少年センター(現科学センター)での保存となった。
C11 171号機の復活の際には、この機関車から部品提供が行われたとのこと。
C11は171号機と207号機を実際に見たが、静態保存機に出会うのはこの機が初めて。

 

そういえば、KATOからNゲージでC11 171が11月下旬に販売されるらしい。湿原号セットもあるらしい。いずれにしても復活後の姿なので、あまり興味も湧かないが、テンダーが切り欠いてある北海道仕様がKATOから出るのは興味がある。現役時代版やC11 207の2つ目もつくればいいのに。東武で活躍している207号機はニーズもありそうだが。

尚、133号機が展示してある苫小牧市の科学センターには、ロシア(旧ソ連)製の宇宙ステーション「ミール」(実物予備機)や、北海道警察航空隊所属だった防災救急ヘリコプター「はまなす」が展示されている。

苫小牧科学センター 宇宙ステーション「ミール」
苫小牧科学センター 道警ヘリコプター「はまなす」

C11 133号機の見学ついでに、こちらも見ごたえがあるので、おススメ。

岩見沢市9条東みなみ公園の D51 47

  2023年夏、岩見沢市九条東みなみ公園に静態保存されている、C57 144と、D51 47号機を見てきました。

D5147 岩見沢のナメクジ 1

D5147 岩見沢のナメクジ 2
D5147 岩見沢のナメクジ 3


 今日はD5147号機にスポットを当ててみます。

  D5147は、いわゆる1次型、通称「なめくじ」。煙突、給水加熱機、砂箱、蒸気ダメ全部をカバーで収めた独特の形態です。札幌市にあるD5111や神居古潭のD516 新得のD5195が現在道内に静態保存されているなめくじ型で、合計4両中の1両です。

D5147 岩見沢のナメクジ 4

 

D5147 岩見沢のナメクジ 5
D5147 岩見沢のナメクジ 6
D5147 岩見沢のナメクジ 7

D5147 岩見沢のナメクジ 8

 ちなみに、D5147、D5111は密閉キャブで、D516、D5195 は開放キャブ。

 この釜が北海道に来たのは1938年のようで、同じ公園に保管されている開放キャブのC57144が北海道に来たのは1966年。早くから北海道に転属になった釜はやはり密閉化の改造をされているのですね。

 切り詰められたデフや、コの字型の手すり、運転席側の旋回窓など、北海道の蒸気機関車のマストアイテムがしっかり揃ったナメクジというところでしょうか。

D5147 岩見沢のナメクジ 9

D5147 岩見沢のナメクジ 10
D5147 岩見沢のナメクジ 11

 さて、この釜は、日立製作所笠戸工場にて1937年に製造されています。

 1937年東京局高崎機関区配置になりましたが、すぐに1938年に11月、北海道に渡り追分機関区に転属、そして翌月には岩見沢第一機関区に配属され、1973年、廃車になるまでずっと岩見沢で過ごした釜だったようです。まさに岩見沢市ゆかりの蒸気機関車

D5147 岩見沢のナメクジ 13

 こちらも岩見沢SL保存会の方々が大事にメンテナンスをされているそうです。状態は良さそうですね。C57同様、キャブの中にも入る事ができ、子供たちの声も聞こえてきました。

D5147 岩見沢のナメクジ 運転台

 あと十数年でこれらの機関車も誕生から100年を迎えます。過去の遺産をこれからも大事にしていってほしいです。

岩見沢市9条東みなみ公園の C57 144

 昨年、2023年夏、岩見沢市に用があり、ついでに岩見沢市九条東みなみ公園に静態保存されている、C57 144と、D51 47号機を見てきました。

 室蘭区にも居たことがあるC57 144。

C57144 静態保存機1

 C57 144はキャブが密閉されていない普通の開放キャブ。岩見沢のC57として有名な135号機は晩年の北海道仕様のC57に多い密閉型ですが、こちらは開放型。北海道にやってきたのが1962年でその頃には、密閉キャブ化改造のピークは過ぎていたのでしょうか。

C57144 静態保存機2
C57144 静態保存機3
C57144 静態保存機4


 それでも切り詰めたデフや、旋回窓はある一方、道内機につきもののボイラ上の扇形をした手すりが無いなど、特徴的な機関車だったようです。

C57144 静態保存機5
C57144 静態保存機6

 

C57144 静態保存機9
C57144 静態保存機10


C57 144は、三菱重工業神戸造船所で製造されています。

1940年10月製造後、東京局 高崎機関区へ配属となります。1952年3月には金沢、その後富山を経て、1962年6月、北海道へ渡り室蘭機関区に配属されます。晩年の1968年には岩見沢機関区へ移動し、1976年3月に廃車となります。

C57144 静態保存機13
C57144 静態保存機14

C57144 静態保存機 キャブ内部

C57144 静態保存機ATS車上子
C57144 静態保存機蒸気暖房用ホース


 その後は、北海道岩見沢市の「はぎぞの公園」に設置、昭和57年からはその公園の工事のため、現在の「九条東みなみ公園」に移設され、静態保存されています。

 岩見沢市SL保存会が清掃や冬囲い、その他の保存整備をされているそうで、状態は良いと感じられます。このような良い保存状態がいつまでも続くよう願います。

 

マイクロエースのD52 468号機ディテールアップ6 -細部追加/塗装

 D52468の続きのその後の作業の記録です。

 前の記事を書いてから年月が経ち、かれこれ1年半以上経ってしまいました。

 前の記事を更新してから、去年の今頃に、以下に書いたような細部のディテール追加と塗装までしていたのですが、記事更新をほったらかしにしていました。

D52468 マイクロエースディテールアップ 正面

D52468 マイクロエースディテールアップ 公式側

 その後の現時点までのD52468の姿を記録にとどめようと思い、久しぶりにざっとですが記事の更新をします。

 今回はテンダー下部の配管、オイル箱の前の小箱、テンダー後方手摺、キャブ窓バタフライスクリーン、キャブ防寒カーテンの追加を行いました。そしていさみやのカラープライマーで塗装。

D52468 マイクロエースディテールアップ 全体

D52468 マイクロエースディテールアップ公式側 側面

↓ 公式側改造前

 

D52468 マイクロエースディテールアップ 非公式側側面

↓ 非公式側改造前

 

D52468 マイクロエースディテールアップ 真正面
D52468 マイクロエースディテールアップ


 テンダー下の配管やキャブ後方の手すりは真鍮線で写真を見ながらそれらしく。バタフライスクリーンは銀河モデルのパーツ、防寒カーテンはKATOのD51北海道形のパーツです。

D52468 マイクロエースディテールアップ テンダー


 塗装後にキャブガラス窓を入れ、ナンバープレートを貼り付けしました。
ガラス窓はマイクロエースの製品のものを半分に切り、前方だけはめ込んでいます。

 ナンバープレートは、KitcheNさんのものです。ナンバープレートを入れると、一気にそれらしくなります。このスケールや字体にもこだわっているKitcheNさんのナンバープレート。素晴らしくて、私の工作の下手さも相まってナンバーだけリアル感が出ています。

D52468 マイクロエースディテールアップ公式側

D52468 マイクロエースディテールアップ 非公式側

 あとは、石炭水撒き管とキャブ前方窓防護網が細部追加の残工事。そして、車高下げとモーターの小型化、機炭間の詰めで完了と思っていましたが、その頃から仕事が忙しくなり、手を休めてしまっていました。
 
 今あれから1年が経ち、仕事の忙しさに加えて、老齢によりかなり目が悪くなり、これ以上の細かな作業はもう無理かなと感じています。できることなら完成まで行きたいのですが・・・。

 

マイクロエースのD521はまだAMAZONで購入できそう。残り1台13,000円。

 

マイクロエースのD52 468号機ディテールアップ5 -火室・キャブ下回り、テンダー

 久しぶりにD52468の続きの作業をしました。

 今回は、主に火室周り、火室下~キャブ下の配管類、泥溜め、空気分配弁、ニ子三方コック、チリコシ、公式側の速度検出装置、ランボード上のオイル箱あたりを追加していきました。

 

 また、前面の標識灯、テンダーの後部の吊り金具と標識灯、テンダーのステップ(製品のものは折れてしまっていたので)、増炭囲い板、テンダー前部の手摺も取り付けています。


 製品の汽笛も折れてしまったので、新たに交換しています。

D52468号機 ディテールアップ 公式側

D52468号機 ディテールアップ 非公式側

D52468号機 ディテールアップ 前面

D52468号機 ディテールアップ 後部

 
 泥溜め・標識灯・ステップ・ニ子三方コック・オイル箱・汽笛は銀河モデル製。空気分配弁・チリコシはワールド工芸。速度検出装置はロッドを真鍮線で、ステーはパーツの端材で、ロッドの端部は配線カバーの細いもので作っています。増炭囲い板もパーツの端材です。石炭部分を両サイド削って付けています。
その他配管類は真鍮線です。

 

D52468号機 ディテールアップ マイクロエース

D52468号機 ディテールアップ マイクロエース製品

D52468号機 ディテールアップ テンダー

 残すはテンダー下部の配管、キャブ窓周り、オイル箱の前の小箱、テンダー後方手摺、キャブ前方窓防護網、キャブ窓バタフライスクリーン、キャブ防寒カーテン、石炭水撒き管くらいでいいかなと思っています。

 

 これらが出来たら塗装していきますが、このペースだと来年になりそうですね。

 

懐かしの青函連絡船「摩周丸」

 数年前の写真を見ていたら、函館に今は博物館として係留中の青函連絡船摩周丸」の写真がありました。摩周丸がまだ現役の青函連絡船として就航していた小学生のころ、父に連れられて1度だけ青函連絡船に乗船した記憶があるのですが、この時の船が摩周丸だったと記憶しています。もう当時の写真はありませんが、なんとなく記憶の片隅に残っています。懐かしい記憶です。

青函連絡船 摩周丸

 簡単に、この船の経歴をwikipediaから抜粋します。

1964年(昭和39年)12月2日 - 三菱重工業神戸造船所にて起工、1965年(昭和40年)6月15日 - 竣工。
6月21日 - 11時05分函館港回着(函館2岸)
6月24日 - 函館3岸9時05分発 茂辺地沖で速力試験の後、14時40分沖発、青森2岸19時20分着の7210便より試運航開始、6月30日 - 函館2岸12時25分発、青森2岸16時45分着20便より青函連絡船として就航
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1988年(昭和63年)3月13日 - 青森2岸15時00分発 函館1岸18時50分着の5便で終航

摩周丸 サイドビュー1
摩周丸 サイドビュー2
摩周丸 サイドビュー3

青函連絡船 摩周丸 やや後方から

摩周丸の船名表示

 青函連絡船で今残っているのは、青森港のメモリアルシップ八甲田丸とこの摩周丸だけ。過去の産業遺構が失われていくのは仕方のない事です。特に船となると機関車の保存よりもさらに難しいのでしょうね。海は錆の進行が早そうですし、使わない大きな船を陸にあげて防錆することもしないでしょうし。

 函館の海に連絡船がある風景。いつまで見ることができるだろうか。大事にしたい風景ですね。

車輛が出入りしていたゲート

ここに線路も残していてくれたら、連絡船の特殊なところが分かってよかったのにな。といつも思います。ここから車両が入っていくのが、連絡船ならではでした。

函館港

函館港の風景はいつみても良いです。

 

青函連絡船関連の書籍

鉄道連絡船細見 (キャンブックス)

鉄道連絡船細見 (キャンブックス)

  • 作者:古川 達郎
  • ジェイティビィパブリッシング
Amazon

 

天賞堂から青函連絡船が出ているとは驚きです。