先日動力を付けて写真を載せたD51 1017にディテールの追加をしました。
今週追加したのは、真鍮線と銀河モデルのパーツの切れ端で作ったキャブ下の配管類(二子三方コックや空気分配弁はパーツが高いので自作)。それとランボード上のオイルポンプ箱、そして一番目立つのは皿型の回転火粉止(通称クルクルパー)。
皿型の回転火粉止は蒸気のスタイルを損ねるものと言われ、付けない方がいいのではとの意見も多々あるようですが、私はそんなに嫌いではなく、むしろ独特のスタイルが出て良いと感じています。
D51 1017の実機は写真を見る限りこの皿型のものが付いていた時期は短かったようですが、最初に見た写真でこれが付いていてインパクトがあり、この皿型クルクルパーがついていた時期を再現しました。これが付いていた時期はまだシンダー除けが付いていなかったみたいなので、道内機に良くみられるシンダー除けはあえて付けませんでした。
回転火粉止はやえもんデザインさんの品番Y-029です。煙突に足が入らず、足を削ったり煙突の内部を削ったりしてようやく取り付けました。(しかしその際デフのステーが折れて外れたり真鍮線の配管が外れたり・・・で復旧に時間を費やしました・・・。)
ここでD511017の配置変遷を紹介します。
1944年7月、三菱重工業三原工場で新製。最初の配属・配置不明とのことです。凄まじい時代。時はまさに戦時中。D51戦時型として誕生しています。配置不明というところが本当に混乱の時代を物語っています。
終戦後、1947年には富山機関区、1949年には四国に渡り1959年まで高知機関区。1959年まで10年ほど高知で活躍します。1959年7月に長野区へ転属します。この頃は集煙装置を付けています。1963年長野区から愛知県の稲沢第一区へ転属します。
1966年7月渡道し、追分機関区に配属となります。翌年4月には道南の五稜郭機関区に配属となります。1972年まで五稜郭区、72年~73年は長万部機関区、1973年7月岩見沢第一機関区へ転属しますが、11月末には廃車となってしまいました。D51 1017は本当に日本中を走り回った蒸気機関車のようです。
ちょうど五稜郭機関区にいた1969年ころの写真で皿型クルクルパーを搭載していたD511017の様子が写っており、これをモデルにしています。
いよいよ後は車高下げと機炭車間の切詰を残すのみとなってきました。ちょっと勇気が必要です。
あ、ちょっと待って、テンダーもまだ加工途中でした。次はここからですね。
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