車掌車。子供の頃、貨物列車を見るとその最後尾には真っ黒な車掌車が付いていた。私が鉄道に興味を持たなくなってから、いつの間にかこの車掌車は貨物列車から無くなっていた。そういえば、いつから付かなくなったのかな・・・と調べてみると1985年のダイヤ改正から廃止されたそうだ。と言えば、まだ小学生の高学年の頃。そうだな。その頃から何となく興味はサッカーとか違うものに行っていたのかもしれない。
この車掌車は、近所の公園にある。小学校の裏手にある六郷鉄道記念公園。昔の胆振線六郷駅の構内にある公園だ。1986年(昭和61年)11月1日に胆振線の全線廃止。ちょうど車掌車が廃止されてから1年後だ。そしてここに、この車掌車と客車1両がある。ホームが作られており、そこに停車している。尚、このホームは当時のものではないらしく、六郷駅のwikiによると、「本当の駅の位置は公園の西側であり、ホームが雑草に埋もれているものの現存している。」とあるが、探ってみても今は確認できない。
車掌車・客車とも、車内に入ることはできないが、デッキまでは上がることができる。子供たちが小さい今は、よくここに上がって電車ごっこをやらされる。それも今年か来年で終わりかな。デッキから車内を覗くと、車掌さんたちが仕事の合間に談笑している様子が思い起こされる。年々痛みが出てきており、もうちょっと手入れしたら良いのになと感じてしまうのは、この街の鉄道遺構全てについて感じる事。
さて、この車両、ヨ6000形という形式に区分される。以下は、調べてみた、ヨ6000形の説明。
ヨ6000形は、ヨ5000形の窓4枚の車掌車スタイルが元になっているが、これに比べると車体小型化され、外観上は窓数も3個、換気ベンチレーターも1個となっている。室内の執務用机や椅子、長椅子も3人分から2人分に減らされている。足回りは、ヨ5000形と同様、重ね板ばねを用いた二段リンク式軸箱支持であり、軸距は短くなったものの、長く軟らかいばねを使用していることもあって、85km/hで走行可能。
1965年(昭和40年)以降に製造された北海道向け耐寒構造のヨ6000形。緩衝性能向上のため、連結器緩衝装置が従来のゴム式から油圧式HD6Dに変更されていることから、番号が7900番台に区分された。18両製造されたうちの1台。
ノスタルジックな雰囲気満載の車掌車。また子供たちと遊びにきますね。
今日は春の良い陽気。街中にあるのに今日も誰もいない。遊びに来ていたのはアカゲラたち。田舎町ならではの、のんびりとした素敵な公園です。