Antiquity in my Closet

我が子と近所に保存してある機関車をみていたら、幼少の頃父に買ってもらった鉄道模型を思い出し、40過ぎから模型工作を始めてみました。「鉄ちゃん」のイメージから、なんとなく家族には言えず、押入れの中にひっそりと・・・幼少のころ父とみた古の機関車の記憶。

Tomix C57 135から 室蘭区 C57 57 を作る-6(架線注意・蒸気暖房ホース)

C5757号機の追加作業です。何を追加したでしょうか。

C57 57号機 表記類の追加

C57 57号機 非公式側斜め前方から

「架線注意」の文字表記とテンダー後妻のゼブラプレートの貼り付け。蒸気暖房ホースの製作・取り付けを行いました。

 

「架線注意」表記は、電化区間を走る場合がある車輛に貼られていました。煙突の清掃やヘッドライト交換、ボイラー上に上がる際、架線の存在が無いか確認しなさいという注意喚起のための表記で、作業員の感電を防ぐ目的の表示でした。

 

 機関車にこれでもかと何枚も貼られているのを見ると、感電する事故やヒヤリハットが実際結構あったのでしょうか。

 

 函館本線を走っていた蒸気は、小樽-札幌-滝川の交流電化区間があったので架線注意表記が貼られていました。C57 57に貼られている架線注意も小樽時代の名残なのでしょうか。確かに長万部区の瀬棚線や山線黒松内までの運用のC11などには架線注意は付いていません。

一方、倶知安区で岩内線胆振線での運用だった79618には表記があったようですが、それは何故だったのでしょう。小樽まで行く事があったからなのか。さらには五稜郭区のD52などは電化区間を走る事が無かったにも関わらず架線注意表記があります。函館区のキハ21も同様架線注意表記ありですね。

 

なぜなのでしょう。謎が残ります。

 

「架線注意」の文字表記は、レボリューションファクトリーのステッカー状のもので、ゼブラプレートはラベルシールへの自作プリントアウトです。ゼブラプレートも架線注意のための表記です。文字表記のある機関車正面のデフとボイラーの間は、0.2mmの真鍮線を渡して、その上に架線注意シールを貼っています。他、ボイラー側面とテンダー後妻手摺に1枚ずつ。

C57 57号機 公式側

C57 57号機 非公式側

蒸気暖房用ホースは、0.3㎜真鍮線と、エッヂングパーツの切れ端でそれらしい形に作りました。本当は銀河モデルのものを入手できれば良かったのですが、少しお値段が高く、売っているところが少なく入手も難しそうだったので、自作にしました。

C57 57号機 蒸気暖房用ホース自作

C57 57号機 テンダー後妻

加工は以上です。

C57 57号機 前方架線注意表記追加-PIC1

C57 57号機 前方架線注意表記追加-PIC2

C5757号機の経歴を見てみます。

C57 57は1938年5月に川崎車輛兵庫工場で製造され、大阪梅小路区に配属されました。その後、戦時中を経て1949年まで、梅小路、宮原、梅小路、尾久、岡山、仙台と本州各地で活躍しました。
1949年に渡道、小樽築港機関区に配属されます。

 

1954年にはお召し列車牽引の大役にあたります。8月9日、長万部ー虻田間・伊達紋別東室蘭間、10日、登別ー夕張間、11日、岩見沢ー砂川間、18日、帯広ー小樽間、21日、小樽ー札幌間と全道各地をお召列車を牽いて走ったようですね。

 

小樽築港機関区には、1959年から1968年まで在籍していたようです。1968年函館本線滝川ー小樽電化により小樽での活躍の場が無くなり、室蘭機関区に移ります。室蘭には1969年の10月までいたようです。わずか1年間の在籍。

 

室蘭区所属の頃の写真では、まだ重油タンクはボイラーに乗っかったままです。前照灯の副灯は小樽の最後の方から付いていたようです。しかし小樽の頃にあったタブレットキャッチャーは外されており、煙突の回転火の粉止めも皿型から円筒型になっています。

 

前の記事で述べているように、参考にしたモデルはこの頃のC5757です。

 

その後、苗穂区に移り、1974年7月、岩見沢第一機関区に配置、1976年廃車となっているようです。走行距離は,3,365,110km。
廃車後は東京都世田谷区の大蔵運動公園で静態保存中です。一度見てみたいものです。

 

↓改造のベース車はTOMIX C57 135

 

ニセコ町に移設された旧新得機関区転車台

先日、ニセコ町の9643を見に行った際に撮ってきた旧新得機関区の転車台です。

ニセコ町旧新得機関区転車台全景

ニセコ町転車台とニセコ大橋

この転車台は、1988年に復活運転したC62 3号機牽引の「C62ニセコ号」のニセコ駅までの延長運転(1990年5月から)に際し、1990年に新得機関区から移設されたものです。1985年には新得機関区の廃止とともに使われなくなっていた転車台。それをニセコ町に移設してC62の転車に使用したのです。

転車台は「20m級の下路式のバランスト型転車台」だそうです。C62は全長21.475mですので、全長ではオーバーしていますが、車輪は載ってギリギリ回せたのでしょう。

新得区はD51の基地だったようですが、D51は全長19.730mですので現役の頃よりこの時代の方が大変な仕事をしていたのですね。

ニセコ町転車台と9643

ニセコ町転車台操作室と9643


C62ニセコ号は、1995年に廃止されてしまいます。JR北海道の山線のSL列車は、C11が牽引するSLニセコ号としてその後復活しますが、C11は転車台を使いませんでしたので、結局転車台は荒廃していきました。

しかし、2014年に鉄道写真家の荒川好夫氏らによって、この転車台を手動による動態化することに成功しました。2019年には塗装修繕も行われ、また、JR苗穂工場のOBの方々による修復の末、2020年11月には通電試験を行い、無事に電動で回転ができるようになったそうです。転車台から本線に繋がる接続線路こそ切られていますが、転車台が本当に良好な動態の保存状態で存在するのは全国的に見ても珍しいのではないのでしょうか。

ニセコ町転車台操作室

ニセコ町転車台拡大

 小学生の頃、C62 3号機を見学するため、当時C62ニセコ号の終着だった倶知安駅を訪れたことがあるのですが、その際は倶知安までの運転だったので、倶知安の転車台で転車していました。確かC62ニセコ号が復活したのは1988年4月。ということは、私が倶知安にC62を見にきたのは、1988年か1989年ということになります。

 

 こうした鉄道遺構がニセコ町では大事にされています。鉄道という観点からだけでなく、日本の産業遺構としての歴史的価値をもつこういった遺産を大事にしていく試みはとても良いと思います。一方、隣町倶知安の鉄道遺構は悉く失われていきます。嘆かわしいことです。

9643-ニセコの保存機に想う倶知安の79615の行末

 先日、ようやくニセコ町ニセコ駅前に用事で行く事ができたので、静態保存されている、大正時代の名機9600形、9643を見てきました。

 北海道で9600(キューロク)が初めて使われたのは、このニセコ駅がある函館本線、山線(小樽~長万部間)で、9600型は、ニセコ町ゆかりの深い形式です。

 ニセコ倉庫群の隣に9643はあります。しかし残念ながら、この日は前面煙室扉にはブルーシートがかけられ、さらには周囲にロープが張られており、立ち入りが出来ない様子でした。仕方なくロープの外から望遠でいくつか写真を撮ってきました。

大正の蒸気9643 斜め前から

大正の蒸気9643 斜め後ろから

大正の蒸気9643 真後ろから

 9643は、当初は国鉄機でしたが、晩年を私鉄で過ごしていますので蒸気末期にほとんどの国鉄機が装備していたATS発電機が付いていません。また、配管・配線類なども晩年まで国鉄で過ごした9600型よりも9643の方がシンプルでスマートな印象です。

ニセコ町9643 側方から

ニセコ町9643 テンダー前側
ニセコ町9643 タンク
ニセコ町9643 側面あたり

9600形 9643号機側面

 9643は、1914年12月 川崎造船所兵庫工場にて新製された9600で、新製後は国鉄の神戸局に配置されたようです。その後三重県の亀山機関区を経て、1937年3月、北海道に渡り、旭川機関区に移動・活躍ののち、国鉄機としては1948年6月に廃車となりました。

 しかし、その後、国鉄から日曹炭鉱天塩鉱業所に譲渡され、宗谷本線、豊富にあった日曹炭鉱の天塩鉱業所専用鉄道にて使用されました。1972年7月の天塩鉱山閉山後の9月に路線廃線とともに、9643も廃車となりました。

蒸気機関車9643 側面前
蒸気機関車9643 側面中
蒸気機関車9643 側面後

 1973年12月からは、サッポロビール園にて静態保存されていましたが、2017年6月、鉄道模型の「IMON」の代表である井門義博氏により、ニセコ駅隣接の町有地に移設され、2019年に上屋根付きの保存用の建屋が設置されて正式に公開されました。

9643全体

 9643がサッポロビール園にあったころ、一度見たことがありましたが、その頃は露天での保存でしたので、あまり保存状態は良くなかったように記憶しています。(昔写真を撮ったはずなのですが、データが見当たらず。)

 

 移設に際して塗装もしているようでとても綺麗です。また、専用の上屋根付き建屋で大事に保存されているので、保存形態としては非常に良好です。汽笛吹鳴や前照灯の点灯も可能のようです。9643の横にはかつてC62 3の動態復活運転の際に新得から移設され使われていた旧新得機関区の転車台もあります。こちらもちゃんと塗装をしていて素晴らしい状態になっています。

9643とニセコ駅の転車台

 ニセコ町には鉄道文化協会という組織があるそうなので、今後の保存状態もきっと良い状態を継続できるのではないでしょうか。

 

 一方、隣町の倶知安には倶知安で活躍していた2つ目の9600型(79615)があり、また倶知安機関区のゆかりの転車台もあるのですが、かなり保存状態(というか扱い)が悪く、ボロボロな状態です。

 転車台も新幹線の工事とともに撤去されると思われます。かつて地域の鉄道の拠点として栄えた倶知安町も、これらの町の交通の重要な遺産を大事に後世に伝えてくれれば良いのですが、もう手遅れな状態なのでしょうか。

函館本線ニセコ駅

 ニセコ駅は静かでした。かつては賑わっていた山線も数時間に1本の列車がある程度。新幹線が出来たら、在来線は廃止になりそうな気配。古き趣あるものは新しく便利なものに置き換えられる。時代の流れなのでしょうけど。

Tomix C57 135から 室蘭区 C57 57 を作る-5 (テンダー周り)

 C57 57号機の加工もだいぶ終盤戦に入ってきました。今回は主にC57 57のテンダーについての加工と、石炭水撒き管がメインです。

 

タイトル変わりました。前回までは「小樽築港区の」としたのですが、ふと・・・1960年代後半の小樽築港のC57の運用では長万部機関区に出入りしていないような感じがしてきました。C57 57の長万部機関区での1コマの写真をモチーフにして進めてきた加工でしたが、1960年代後半、C57が長万部に入っていたのは、もしかしたら室蘭区に移籍してからではないかと思えてきました。と思って、長万部で撮影されたその写真を見返してみたら、1969年の写真でした。他にも重油タンクを背負うC57 135が長万部機関区に停ずんでいる写真も1969年。1969年は既に室蘭区に移動した後でしたので、今回から「室蘭区の」となったわけです。室蘭区所属の1年間は小樽(狩勝越え)のなごりの重油タンクは背負ったままだったのですね。岩見沢に行ってから外されたようです。

TOMIX C57 57のディテール加工-1

C57 57号機のテンダーの特徴、C57では大抵の機番で付いているはずのテンダー後端の向かって左上に付いている2本の手摺が無い事です。なぜ無いのか分かりませんが、現存する静態保存機だけではなく、現役時代にも無かったことが複数の写真から分かりました。KATOの旧品番のSLみたいです。そして、大体その位置に標識灯か何かを吊り下げるフックが1つ付いています。まずはこれを再現します。 TOMIX C57 57のディテール加工-テンダー手摺

この手すりは別パーツになっているので外してプラ板でその箇所を埋めてしまいます。それだけです。また、フックについては、エッチングパーツの切れ端から作ってテンダーの上端に接着しました。ちょこんと出ているだけなのでわかりづらいです。

TOMIX C57 57 テンダー手摺除去

次は増炭囲いを取り付けたせいですっかり目立たなくなってしまった石炭を増量します。IMONの石炭を木工ボンドを溶いた液で接着します。Nゲージ蒸気機関車様のサイトで方法は説明されていますので、参考にさせていただきました。ありがとうございます。 

 

そして今回のメインは石炭水撒き管です。キャブ屋根に付いているおなじみ石炭水撒き管。今回は真鍮線とエッチングパーツの切れ端で自作しました。真鍮線0.3mmをTの字に組み管とし、エッジングパーツの切れ端でステーを2本作りTの字の両端に接着します。ステーは屋根の上側に、真鍮線の管は屋根の下側に取り付けました。
C57の石炭水撒き管の写真を見たらそんな感じになっています。C57 57号機も同じ形と思われます。強度が少し心配ですが、とりあえず完成です。

TOMIX C57 57 石炭水撒き管-1

TOMIX C57 57 石炭水撒き管-2

また、先日取り付けた、清缶剤送入装置ですが、C57 57号機ではそのランボードを挟んで真下に何かのカバーのようなものがあったようです。小樽所属の何機かのC57でも同じようなカバー?が見られます。遠目に見た写真しか見つからず、実際こんな形なのかは分かりませんが、遠目に映った写真から、そのようなものをプラ板で作って付けてみました。 

TOMIX C57 57のディテール加工-清缶剤送入装置

TOMIX C57 57 清缶剤送入装置下カバー

最後に、テンダーから離れ、前面の副灯の縁にガンダムマーカーのシルバーを塗ります。その後少しシルバーを汚しました。 

GSIクレオス ガンダムマーカーEX ガンダムメッキシルバー 模型用塗料 XGM100
 

ガンダムマーカー、こういう細かいところを手軽に塗るのに役立ちます。 

TOMIX C57 57 前面

今日の作業はこれにて終了。

TOMIX C57 57のディテール加工-1

TOMIX C57 57のディテール加工-2

TOMIX C57 57のディテール加工-3

↓過去の「Tomix C57 135号機から 小樽築港機関区 C57 57号機を作る」記事はこちら

antiquity-closet.hatenablog.com

↓ベース車はTOMIX C57 135

 

Tomix C57 135 から 小樽築港区 C57 57 を作る-4(カプラー・清缶剤送入装置など)

Tomix C57 135号機から 小樽築港機関区 C57 57号機を作る。本日は小加工です。作業は3つ。
今日の作業終了時の写真から。

Tomix C57135からC5757への加工-1

まずはテンダーのカプラーをカトーのCSナックルに交換します。

テンダーからカプラーポケットを外します。説明書に方法が書いてありました。外したらアーノルドカプラーも外し、ポケット側とカプラー側の突起にはまっているスプリングを無くさないように取ります。CSナックルとスプリングを再び嵌め、カプラーポケットを戻すだけです。無加工で大丈夫でした。

Tomix C57 をKATO CSナックルカプラーへ-1
Tomix C57 をKATO CSナックルカプラーへ-2

 

Tomix C57 をKATO CSナックルカプラーへ-3

CSナックルにすると見栄えが良いですね。TOMIXとカトーでメーカーが違うのに最初から交換を考慮されているような設計。素晴らしいです。

次にテンダーの集電板です。TOMIXのC57 135のテンダーは板台枠の台車ですが、57号機はC57 1次型の一体鋳鋼製台車です。そこでKATOの新C571次形のテンダー台車(2024-1D5 C57 1テンダー台車)に変えたわけですが、集電板の上端が短すぎるようで、テンダー内の集電板に微妙に届かないようで、集電不良を起こします。

C57テンダー台車にC62集電板組込-1
C57テンダー台車にC62集電板組込-1

色々と調べてみると、KATOの新C62のテンダー台車の集電板がより上に長いようで、C571次型の台車枠にもピッタリはまるとのこと。早速手持ちのC62の台車を分解して集電板を拝借してみたところ、本当に上が長く、ピッタリ嵌ります。手持ちのC62を解体するわけにはいかないので、一旦戻し、新C62のテンダー台車を購入して取り付けました。

本日の最後に、非公式側にある清缶剤送入装置の取り付けです。銀河モデルのパーツを使いました。ランボードに1.2mm穴を開けて差込み、固定しました。装置は箱ですが、写真ではその箱の側面に縦に1本棒(管?)が付いていましたので、それも0.3㎜の真鍮線で付けてみました。

Tomix C57135からC5757への加工-2
Tomix C57135からC5757への加工-3

Tomix C57135からC5757への加工-4

清缶剤送入装置は、C57 57号機が室蘭機関区に移ってから外されているようです。また、前照灯の横に副灯が付いたのは小樽築港の晩年のようですが、1枚の写真には、副灯が付き、且つ、清缶剤送入装置が付いているものを見つけたのでそれをモデルにしています。(写真は1969年4月長万部で撮られたものでした。この頃は室蘭機関区所属ですね。)尚、この塗装は筆で行いましたのでムラがあるのが残念です。エアブラシ吹く前にやっておけばよかったと反省しています。

下は今回は加工していない正面と公式側の写真。

Tomix C57135からC5757への加工-5
Tomix C57135からC5757への加工-6

Tomix C57135からC5757への加工-7

さて、この時点で思いあたる残工事として残っているものをメモしておきます。

・テンダーの後端の左上の手すり撤去。
 製品についている手すりは57号機にはありません。これは驚き。

・キャブ後ろの石炭水撒き管。自作しなければなりませんね。

・架線注意表記などの表記。

・副灯の端を銀に。

・メーカーズプレートを川崎車輛に。

  レボリューションファクトリー 4943 製造銘板 川崎車輌(黒) が良さそうですが、
  どこかで見つけられるでしょうか。

・テンダー蒸気暖房管

・テンダー石炭山積み

また次回です。

 

↓ 前回の記事。

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Tomix C57 135 から 小樽築港区 C57 57 を作る -3 (配管・塗装)

さて、Tomix C57 135号機から 小樽築港機関区 C57 57号機を作る、続きです。
今回はここまで行きました。

Tomix C57 135号機から C57 57号機 へ-1

まずは配管です。C57 135号機とC57 57号機の配管はやはり違います。TOMIXのC57 135は良く出来ているので、弄ってガタガタにしてしまうより、細かなところは触れずに一番目立つところを1つだけ変更することにしました。

一番目につくと感じたところ、それは、

C57 57 公式側のランボード沿いの蒸気暖房管

です。TOMIXのC57 135はランボードに平行に走っており、空気圧縮機のあたりで上に上がりますが、ランボードとエアタンクの前を通って再びランボード下に下がり前方に走ります。それに対し、C57 57のものは、ランボードに対し、キャブ側に若干下がったように走ります。また、反対側は空気圧縮機付近でランボード上に出たあとは、ボイラー側に折れ曲がり、ボイラーに沿ってランボード下に潜っているようでした。

 

他にも、キャブ蒸気分配箱から空気圧縮機への布まき配管なども違いがあるのですが、今回はランボード沿いの配管だけにします。これだけでも雰囲気が変わるのではと思いやってみました。

 

蒸気管を真鍮線0.3㎜で形作り、留め具は割ピンで作りました。少し並行過ぎたかもしれません。
尚、給水温め器より前の配管は1本多いので削っています。

C57 57 速度検出装置のロッド

公式側の速度検出装置のロッドを空気圧縮機からキャブ下に渡します。これも0.3㎜の真鍮線です。

C57 57 増炭囲い

テンダーには増炭囲いを0.3㎜のプラ板で製作します。増炭囲いをする箇所の石炭部分を少し削って接着しています。後日、石炭は増炭する予定です。

 

そして、ここで一旦全体を塗装しました。
塗装はエアブラシでイサミヤのカラープライマーを使用しました。キャブ付近のメーカーやSマーク表記はあると雰囲気がでるのでマスキングして残しました。本来C57 57号機のメーカーは川崎車輛で、区名表示は「築」にしたいところなのですが、遠くから見ても読めないので製品そのまま(C57 135は三菱重工TOMIX製品は「岩」区の表示です。)にしています。

 

エアブラシは、本格的ではないのですが、充電式のものを使っています。アマゾンです。蒸気は黒一色ですし、あまり使う機会がないので、これで十分と割り切っていますす。

 

塗装後、ナンバープレート貼り付けです。ナンバープレートはレボリューションファクトリーのC57ナンバー(TOMIX用2)です。C57 57のフロントのナンバーは結構下側に付いているのでそのようにしてみました。少しナンバーの上のくぼみが目立つのと、横幅が合っていない感じですが良しとします。

 

ここで一旦組み上げて、この時点でのC57 57を撮影。だいぶ形になりました。

Tomix C57 135号機から C57 57号機 へ-2

Tomix C57 135号機から C57 57号機 へ-3

Tomix C57 135号機から C57 57号機 へ-4

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↑ 改造前のC57 135です。だいぶイメージが変わりました。

Tomix C57 135号機から C57 57号機 へ-5

Tomix C57 135号機から C57 57号機 へ-6

Tomix C57 135号機から C57 57号機 へ-7

Tomix C57 135号機から C57 57号機 へ-8

 まだちょっと付け足したいものがあるので、それはまた次回。前面の手すりを直したいし、テンダーのカプラーも変えたいし、テンダーの集電がうまくいっていないことも発覚したので、これも直さなければ・・・とまだやる事はありそうです。

 

種車TOMIX C57 135です。

↓ 過去の記事です。

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Tomix C57 135 から 小樽築港区 C57 57 を作る -2(ボイラー周り)

TOMIXのC57 135をベースに小樽築港機関区所属時代のC57 57を作る。今回は小樽築港機関区のC57に共通の装備であった、ボイラー上の重油併燃タンクの取り付けと、デフの交換、前手すりの位置変更、運転台前方の旋回窓の取付、バタフライスクリーンの取り付けなどを行いました。

 

まずは、重油併燃タンクです。銀河モデルのC57用のものがありましたので、これをボイラに載せます。少し真ん中をボイラのRに合せて削り、載せて接着しています。

Tomix C57 135に重油併燃タンク取り付け

↑写真では既にデフも切り落としています。

 

TOMIXのC57 135は重油タンクは載せていないものの、砂箱の後端が重油タンクに合せて垂直に落とされているため、砂箱の加工はしなくてよいため簡単です。

 

重油タンクを載せると重厚感がありますね。多分これは蒸気機関車のスタイル、特に貴婦人と呼ばれたC57のスタイルとしては好みが分かれるところと思いますが、武骨な感じが自分は好きです。

 

北海道のC57は晩年、D51のように北海道スタイルのデフの切詰が行われていますが、1968年頃の小樽所属のC57は、まだデフは切り詰められていません。また、C57 57に限っては結局切詰られることはなく、保存機となった今も標準デフのままです。したがって、デフを標準スタイルに変更しなければなりません。レボリューションファクトリーからC57の標準デフでTOMIXサイズのものが出ているのですが、残念ながらC57 57のデフの点検口の大きさと、点検口の縁どりは同じものはありません。他にいいものが見当たらないので、このレボリューションファクトリーのTOMIXC57 1用のものを使いましたが、57号機のものより点検口が狭く、縁取りがあるタイプになってしましました。

Tomix C57 135 デフを標準デフに変更

元のデフを慎重に取り除き、代わりに標準型デフを付けます。C57はステーが太いので付けやすいです。D51などデフは何度か折ったことがありますが、C57のものは折れにくそうです。

デフが付きました。

Tomix C57 135 標準デフ装着

Tomix C57 135 重油タンク/標準デフ装着-1

Tomix C57 135 重油タンク/標準デフ装着-2

Tomix C57 135 重油タンク/標準デフ装着-3

前手すりの位置も変更します。0.5mmの穴を開けて付けましたが、ちょっと内すぎたのと、向かって右の手摺はランナーから切る時に、手すりの上の球になっている部分を誤って切ってしまったようです。完成後に写真を撮って気付きました。上の球は後日修正します。

Tomix C57 135 前手すり位置変更

運転台の作業に移ります。旋回窓です。
TOMIXのC57 135は現在の仕様。晩年岩見沢所属の頃は今と同じように助手側の旋回窓は無く、運転手側のみ旋回窓が付いています。これは透明の窓パーツにモールドされています。今の保存機のC57 57も同様ですね。

 

しかし、小樽時代のC57 57を見てみると、助手側にも旋回窓が付いています。これは135号機も同じみたいです。そういうことで両方に旋回窓を付けることにします。
元々の運転手側の旋回窓のモールドは削り落としました。そして手持ちの銀河モデルのC62北海道仕様のパーツセットにたまたま入っていた旋回窓の○だけのパーツがあったので、それを窓に接着します。瞬間接着剤で付けてみましたが、たいして白くならず、うまくいきました。

Tomix C57 135 運転台 旋回窓・バタフライスクリーン取付

バタフライスクリーンも銀河モデルのものを側面の窓両方に付けます。タブレットキャッチャーはある時期まで付いていたようですが、小樽でも付いていない時期があったようなので付けていません。

 

久しぶりの工作で少し緊張でした。やはり模型工作は難しい。。。 

 

 ↓ベース車はコレ。

 ↓前回の記事はここ。

↓実物のC57 57はこちらで静態保存されています。

www.steamlocomotivejapan.com