Antiquity in my Closet

我が子と近所に保存してある機関車をみていたら、幼少の頃父に買ってもらった鉄道模型を思い出し、40過ぎから模型工作を始めてみました。「鉄ちゃん」のイメージから、なんとなく家族には言えず、押入れの中にひっそりと・・・幼少のころ父とみた古の機関車の記憶。

ニセコ町に移設された旧新得機関区転車台

先日、ニセコ町の9643を見に行った際に撮ってきた旧新得機関区の転車台です。

ニセコ町旧新得機関区転車台全景

ニセコ町転車台とニセコ大橋

この転車台は、1988年に復活運転したC62 3号機牽引の「C62ニセコ号」のニセコ駅までの延長運転(1990年5月から)に際し、1990年に新得機関区から移設されたものです。1985年には新得機関区の廃止とともに使われなくなっていた転車台。それをニセコ町に移設してC62の転車に使用したのです。

転車台は「20m級の下路式のバランスト型転車台」だそうです。C62は全長21.475mですので、全長ではオーバーしていますが、車輪は載ってギリギリ回せたのでしょう。

新得区はD51の基地だったようですが、D51は全長19.730mですので現役の頃よりこの時代の方が大変な仕事をしていたのですね。

ニセコ町転車台と9643

ニセコ町転車台操作室と9643


C62ニセコ号は、1995年に廃止されてしまいます。JR北海道の山線のSL列車は、C11が牽引するSLニセコ号としてその後復活しますが、C11は転車台を使いませんでしたので、結局転車台は荒廃していきました。

しかし、2014年に鉄道写真家の荒川好夫氏らによって、この転車台を手動による動態化することに成功しました。2019年には塗装修繕も行われ、また、JR苗穂工場のOBの方々による修復の末、2020年11月には通電試験を行い、無事に電動で回転ができるようになったそうです。転車台から本線に繋がる接続線路こそ切られていますが、転車台が本当に良好な動態の保存状態で存在するのは全国的に見ても珍しいのではないのでしょうか。

ニセコ町転車台操作室

ニセコ町転車台拡大

 小学生の頃、C62 3号機を見学するため、当時C62ニセコ号の終着だった倶知安駅を訪れたことがあるのですが、その際は倶知安までの運転だったので、倶知安の転車台で転車していました。確かC62ニセコ号が復活したのは1988年4月。ということは、私が倶知安にC62を見にきたのは、1988年か1989年ということになります。

 

 こうした鉄道遺構がニセコ町では大事にされています。鉄道という観点からだけでなく、日本の産業遺構としての歴史的価値をもつこういった遺産を大事にしていく試みはとても良いと思います。一方、隣町倶知安の鉄道遺構は悉く失われていきます。嘆かわしいことです。