Antiquity in my Closet

我が子と近所に保存してある機関車をみていたら、幼少の頃父に買ってもらった鉄道模型を思い出し、40過ぎから模型工作を始めてみました。「鉄ちゃん」のイメージから、なんとなく家族には言えず、押入れの中にひっそりと・・・幼少のころ父とみた古の機関車の記憶。

C62 2号機 ディテールアップ 軽加工(その3) KATO C62北海道形から

 夏場少し忙しかったことと、Nゲージの他に製作していた木工の工作もあって、Nゲージの加工工作が出来ていません。
そんな中、少し前に入手していたC62 2号機のメーカーズプレート(製造銘板)を取付けしましたので、アップします。

C62 2号機製造銘板-3


 KATOの北海道形C62 2には元々メーカーズプレートが印刷されており、見た目そんなに悪くないのですがナンバープレートと比べて印刷された感がはっきり分かります。しかしながら現役時代のC62 2の写真を見ていると、煤で汚れてメーカーズプレートがほぼ目立たない写真も結構見かけます。ですので、メーカーズプレートはわざわざパーツ化しなくても良いかと思っていたのですが、「たまたま安価で入手出来た」という理由で付けてみた次第です。

 

 C62 2号機は1948年5月20日日立製作所笠戸工場で落成しており、製造銘板は「日立」です。レボリューションファクトリーの「日立」の製造銘板を取り付けています。ナンバープレートと同じような感じの見栄えとなりました。

C62 2号機製造銘板-1

 

C62 2号機製造銘板-2

 日立製作所笠戸工場は、1919年に山口県下松市の埋立地に立地した日本汽船笠戸造船所が前身となります。のちに日立製作所がこの造船所を取得しましたが、造船を手掛けていなかったことから、「笠戸工場」として鉄道車両の製作に振り向ける事となり、1924年に国産第1号となる大型機関車のED15形電気機関車を完成させ(笠戸工場は機械部分を担当)ています。C62については設計を主導し、量産試作機(C62 1 - 4)の製作も担当しており、C62 2号機もその1両となっています。現在も鉄道車両の製造は継続されており、現在は製作されている車両のほとんどが電車ということです。JR向け、民鉄向けを問わず幅広く扱っており、新幹線向けの車両製造も多く手がけているようです。

 

C62 2号機製造銘板-4

C62 2号機製造銘板-5

 日立といば、「この木なんの木」を想い出しますが、私は蒸気のキャブに輝く製造銘板も想い出されるのです。 

 過去のC62 2の記事はこちら↓

antiquity-closet.hatenablog.com