Antiquity in my Closet

我が子と近所に保存してある機関車をみていたら、幼少の頃父に買ってもらった鉄道模型を思い出し、40過ぎから模型工作を始めてみました。「鉄ちゃん」のイメージから、なんとなく家族には言えず、押入れの中にひっそりと・・・幼少のころ父とみた古の機関車の記憶。

マイクロエースのD52 468号機ディテールアップ3 -パーツ関連

 久しぶりにD52を進めました。とはいえ、さほど進んでいません。今年は他の事で忙しくしており、蒸気にほとんど手を付けられない状態。長らくここも更新出来ていません。

 

 D52は安価に入手できるのはマイクロエース製品しかなく、やはり今のKATOやTOMIXのものに比べると見栄えが劣ってしまうのは仕方なく。それに対し工作の熱が今一つ上がらないのも、いま1つ進まないもう一つの要因。ついつい放置してしまいがちです。

 

 さて、先日は、旋回窓(銀河モデル)の取り付け、逆転器カバー(銀河モデル)の取り付け、給油管カバー(銀河モデル)の取り付け、耐寒型逆止弁(銀河モデル)の取り付けというところをざざっとやってみました。

D52468 ディテールアップ 公式側

D52468 ディテールアップ 逆転器カバー・旋回窓

 全部パーツの取り付けですが、逆転器カバーや旋回窓はパーツの大きさが窓などに合わず、削ったりして取り付けています。

D52468 ディテールアップ 非公式側

 給油管カバーはそのまま付けられます。逆止弁はパーツそのままだとかなり大きめだったので、箱を少し削って取付しています。

D52468 ディテールアップ 前面

 前面は今回は加工なしです。

 この調子だと、終わりまでは相当かかりそうな感じです。

 地道に進めます。

 

「特急ニセコ」を見て想う

ここ函館本線山線では、毎年秋に臨時の「特急ニセコ」が運行されます。今年も9月数日限定で「特急ニセコ」が走りました。

特急ニセコ ノースレインボーエクスプレス

 今年はJR北海道ノースレインボーエクスプレスが使われたこともあり、沿線ではカメラを抱え特急ニセコを撮る人がたくさんいましたね。

特急ニセコ ノースレインボーエクスプレス 倶知安駅

特急ニセコ ノースレインボーエクスプレス 函館行き  

 数年前までは、秋のニセコの鉄道の風物詩といえば、SLニセコ号でした。その頃が懐かしく感じます。子供たちと倶知安から蘭越までの区間を乗ったりしました。子供たちはまだ幼稚園にも入る前の小さい頃だったのでその頃の事はあまり覚えていないようです。今年の「特急ニセコ」は倶知安からニセコまで、SLニセコ号の頃と同じように、子供たちと乗りました。皆小学生になったので、とても楽しんだ様子。色々な感想を聞くことができました。

C11 171 SLニセコ

 またC11171が山線を走る日は来るのでしょうか。新幹線が通ったら、在来線はどうなるのだろう。廃止になったら、C11171が山線を走る事はおろか、線路自体が無くなってしまう。ローカル線の悲しい現実が待っています。

H100系走るのどかな函館本線山線

 特急ニセコの運行が終わり、函館本線山線はまたローカル気動車だけの静かな路線に戻りました。SL全盛のころの「急行ニセコ」が走っていたころの山線とは比較にならないくらいの静かな路線。ノスタルジックな風景が失われていく現代。私の中で古き良き時代を象徴する蒸気機関車。せめて模型でSL全盛のころの機関車たちを残したいと改めて感じます。

マイクロエースのD52 468号機ディテールアップ2 -前面・非公式側

 D52 468号機の加工、少しだけ進めました。とはいえほんの少しだけです。夏場、例年は模型工作の時間があるのですが、今年は別の趣味がすこし忙しく、あまり作業を進めることができませんでした。

 今回は主にD52 468号機の前面を弄りました。

D52468 マイクロエース 前面

 マイクロエースのD52は全体のプロポーションマイクロエースにしては比較的良いという評判ですが、細かなディテールとなると、おもちゃ的で実機とはかなり違います。

 まず、解放テコ。D52の解放テコはもっと巾が狭いです。ということで解放テコ作り直し。何か流用できるパーツがないかと調べてみたのですが、見つからず、真鍮線で作ることにしました。解放テコを留める留め具は配管留め用の割りピンをそれらしく付けてみました。

 マイクロのD52の端梁は一般的な蒸気のように、機関車の車幅と同じ長さで付いています。
五稜郭機関区所属のD52は端梁が少し短いようです。これは元の端梁をカッターで切り取りヤスリで成形しました。デフの手すりを削ってしまわないよう注意が必要です。

 D52 468は当区の他の蒸気たちと同様、冬仕様にしますので、スノープロウを取り付けます。こちらは、手持ちで余っていた、ステップと一体型のスノープロウを付けました。D52のステップは次で述べますが向きが異なります。従って別のものを付ける必要があるため削り取っています。

 端梁に付くステップです。マイクロエースのD52にはステップが付いていません。結構目立つディテールだと思うのですが・・・。D52のステップは端梁の前側にステップの踏板がくるように付いています。銀河モデルのステップを使いましたが、スノープロウと干渉してしまい、少し曲がって付いてしまった感があります。要改善。

 マイクロエースの蒸気全般にそうですが、煙室扉の周囲の円形の手すりの留め具が大きい件。留め具を削ってみました。塗装後にどんな感じに見えるか。

 マイクロのD52のシンダー除けは、シンダー除けの端部に何もないのですが、D52 468のシンダー除けは両サイドが立っている(という表現で伝わるでしょうか)ので、それをエッジングパーツの切れ端から作って貼ってみました。

 エアホースを取り付けます。これは銀河モデルのパーツです。

 前面は現状このくらいにしました。

D52 468 前面のディテールアップ D52の顔

D52 468 前面ディテールアップ 斜め上から

 非公式側の側面も少し。非公式側ランボード下に付いているオイルポンプ箱です。元のモールドが貧弱で残念な感じだったので、思い切って切り取り、余っていた銀河モデルのパーツを付けました。やっぱりいい感じになります。
これと同じように、ATS発電機も。こちらも銀河モデルの手持ちのパーツがあったので、元のモールドを切り取り、新たに付けています。元のATS発電機は位置もちょっと違っていたようなので。

 また、北海道形ではおなじみのドーム前の手すりを付けています。これは銀河モデルのD51用の余りです。D52468のものはもう少し小さめだったような感じと曲線が長く立ち上がり部分が短い感じがしますが、とりあえず雰囲気出たので良しとします。もう1つ、非公式側の配管(通風管)を追加しています。真鍮線で形を作って貼っています。要所を割ピンで固定しています。

D52 468 非公式側ディテールアップ 斜めから

D52 468 非公式側のディテールアップ 真横から


 とりあえず、ザっとこんなところです。次の作業がいつできるか、別の趣味が忙しく、目途が立ちません。D52 468の工作は長期戦となる事間違いなしです。

 

 

マイクロエースのD52 468号機ディテールアップ1 -改造前

マイクロエースのD52 468を入手してしまいました。中古で販売者が走行させる術が無く走行が不明ということで、かなり安かったので買ってしまいました。届いてから走らせてみたところ、問題なく走行するようでほっとしました。

D52468 マイクロエース Nゲージ 正面から

D52468 マイクロエース Nゲージ 公式側斜め前方

 そしてこれから、D52 468号機へのディテールアップ加工をしていきます。この夏以降の課題はこれになりそうです。マイクロエースのものだけに、結構時間がかかりそうです。

 

 マイクロエースのD52。スタイルは良さそうでパッと見たところいい感じなのですが、3分眺めるだけで実車と違うところが結構たくさん目につきます。簡素化されている部分が多くちょっとおもちゃ感もあります。ボイラー周りの配管類もだいぶ違いそうです。

D52468 マイクロエース Nゲージ 非公式側

 私の未熟な技術では、元のモールドを全部削りパイピングしなおすような、細かなパイピングなど出来そうもないので、元のモールドを極力生かし、足りない部分を補う程度で自分が納得できる範囲でのディテールアップとします。

 

D52は北海道で活躍した機番。D52 468号機の現役時代、五稜郭機関区時代のものをモチーフにします。1968-70年くらいを考えています。

 

ざっと見たところ、ディテールアップのポイントは、

マイクロエースの機炭間、車高高さの改善
  ⇒機炭間の詰めは多分実施します。
   車高高さはKATOの新C62と並べると現状でもさほど違和感が
   なさそうなので、車高は弄らないかもしれません。
・モーターの小型化(Bトレモーターによる)

D52468 マイクロエース Nゲージ非公式側 斜め後方

・前面解放テコの変更、ステップ、標識塔、スノープロウの追加。
 ボイラー手摺の留め具が大き過ぎる点、シンダー除けの形状などの改善。

D52468 マイクロエース Nゲージ 前面

・ボイラー横梯子、砂箱前手すり、逆転棒カバー、耐寒型の逆止弁、配管類、
 火室上配管類、火室下部配管類の追加

D52468 マイクロエース 公式側 配管が貧弱

・キャブ周り配管、バタフライスクリーン、旋回窓、防寒カバーの追加
・テンダー後部 前照灯、テンダー標識灯、増炭囲い、テンダー後部手すり
 他の追加

D52468 マイクロエース Nゲージ テンダー

・ナンバープレート変更、塗装の変更(ロッド類の赤は除去)

 

など、色々とぱっと見で挙げるだけでもかなりボリュームがあります。できるかな・・・。手持ちのパーツ類で賄えないところも出てきそうだな・・・。と不安要素が結構あります。

 

先行してナンバープレートを入手しました。取り付けは一番最後になりそうですが、KitcheNさんのD52ナンバープレートです。精度がかなりよいので、マイクロエースのD52には小さすぎるのではないかと思いますが、スケールと字体にこだわった逸品です。何かこれを入手しただけで満足です。ナンバーだけコレクションしたくなるくらい素晴らしい製品です。

KitcheN D52ナンバープレート

この夏、どこまでできるでしょう。今回は少し長いスパンで考えています。2年くらいかけても良いかな。
楽しみです。

 

D52 468号機 マイクロエース製品はこちら↓

 マイクロエース製品のD52最新版は、D52 235号機 函館本線。モーターが小型化されていますが、スタイル・モールド等はマイクロエースの従来の製品と似たような感じ。  

 五稜郭機関区のD52の資料になりそうな蒸気機関車EX Vol22。見たい・・・。

 

 

 

Tomix C57 135から 室蘭区 C57 57 を作る-6(架線注意・蒸気暖房ホース)

C5757号機の追加作業です。何を追加したでしょうか。

C57 57号機 表記類の追加

C57 57号機 非公式側斜め前方から

「架線注意」の文字表記とテンダー後妻のゼブラプレートの貼り付け。蒸気暖房ホースの製作・取り付けを行いました。

 

「架線注意」表記は、電化区間を走る場合がある車輛に貼られていました。煙突の清掃やヘッドライト交換、ボイラー上に上がる際、架線の存在が無いか確認しなさいという注意喚起のための表記で、作業員の感電を防ぐ目的の表示でした。

 

 機関車にこれでもかと何枚も貼られているのを見ると、感電する事故やヒヤリハットが実際結構あったのでしょうか。

 

 函館本線を走っていた蒸気は、小樽-札幌-滝川の交流電化区間があったので架線注意表記が貼られていました。C57 57に貼られている架線注意も小樽時代の名残なのでしょうか。確かに長万部区の瀬棚線や山線黒松内までの運用のC11などには架線注意は付いていません。

一方、倶知安区で岩内線胆振線での運用だった79618には表記があったようですが、それは何故だったのでしょう。小樽まで行く事があったからなのか。さらには五稜郭区のD52などは電化区間を走る事が無かったにも関わらず架線注意表記があります。函館区のキハ21も同様架線注意表記ありですね。

 

なぜなのでしょう。謎が残ります。

 

「架線注意」の文字表記は、レボリューションファクトリーのステッカー状のもので、ゼブラプレートはラベルシールへの自作プリントアウトです。ゼブラプレートも架線注意のための表記です。文字表記のある機関車正面のデフとボイラーの間は、0.2mmの真鍮線を渡して、その上に架線注意シールを貼っています。他、ボイラー側面とテンダー後妻手摺に1枚ずつ。

C57 57号機 公式側

C57 57号機 非公式側

蒸気暖房用ホースは、0.3㎜真鍮線と、エッヂングパーツの切れ端でそれらしい形に作りました。本当は銀河モデルのものを入手できれば良かったのですが、少しお値段が高く、売っているところが少なく入手も難しそうだったので、自作にしました。

C57 57号機 蒸気暖房用ホース自作

C57 57号機 テンダー後妻

加工は以上です。

C57 57号機 前方架線注意表記追加-PIC1

C57 57号機 前方架線注意表記追加-PIC2

C5757号機の経歴を見てみます。

C57 57は1938年5月に川崎車輛兵庫工場で製造され、大阪梅小路区に配属されました。その後、戦時中を経て1949年まで、梅小路、宮原、梅小路、尾久、岡山、仙台と本州各地で活躍しました。
1949年に渡道、小樽築港機関区に配属されます。

 

1954年にはお召し列車牽引の大役にあたります。8月9日、長万部ー虻田間・伊達紋別東室蘭間、10日、登別ー夕張間、11日、岩見沢ー砂川間、18日、帯広ー小樽間、21日、小樽ー札幌間と全道各地をお召列車を牽いて走ったようですね。

 

小樽築港機関区には、1959年から1968年まで在籍していたようです。1968年函館本線滝川ー小樽電化により小樽での活躍の場が無くなり、室蘭機関区に移ります。室蘭には1969年の10月までいたようです。わずか1年間の在籍。

 

室蘭区所属の頃の写真では、まだ重油タンクはボイラーに乗っかったままです。前照灯の副灯は小樽の最後の方から付いていたようです。しかし小樽の頃にあったタブレットキャッチャーは外されており、煙突の回転火の粉止めも皿型から円筒型になっています。

 

前の記事で述べているように、参考にしたモデルはこの頃のC5757です。

 

その後、苗穂区に移り、1974年7月、岩見沢第一機関区に配置、1976年廃車となっているようです。走行距離は,3,365,110km。
廃車後は東京都世田谷区の大蔵運動公園で静態保存中です。一度見てみたいものです。

 

↓改造のベース車はTOMIX C57 135

 

ニセコ町に移設された旧新得機関区転車台

先日、ニセコ町の9643を見に行った際に撮ってきた旧新得機関区の転車台です。

ニセコ町旧新得機関区転車台全景

ニセコ町転車台とニセコ大橋

この転車台は、1988年に復活運転したC62 3号機牽引の「C62ニセコ号」のニセコ駅までの延長運転(1990年5月から)に際し、1990年に新得機関区から移設されたものです。1985年には新得機関区の廃止とともに使われなくなっていた転車台。それをニセコ町に移設してC62の転車に使用したのです。

転車台は「20m級の下路式のバランスト型転車台」だそうです。C62は全長21.475mですので、全長ではオーバーしていますが、車輪は載ってギリギリ回せたのでしょう。

新得区はD51の基地だったようですが、D51は全長19.730mですので現役の頃よりこの時代の方が大変な仕事をしていたのですね。

ニセコ町転車台と9643

ニセコ町転車台操作室と9643


C62ニセコ号は、1995年に廃止されてしまいます。JR北海道の山線のSL列車は、C11が牽引するSLニセコ号としてその後復活しますが、C11は転車台を使いませんでしたので、結局転車台は荒廃していきました。

しかし、2014年に鉄道写真家の荒川好夫氏らによって、この転車台を手動による動態化することに成功しました。2019年には塗装修繕も行われ、また、JR苗穂工場のOBの方々による修復の末、2020年11月には通電試験を行い、無事に電動で回転ができるようになったそうです。転車台から本線に繋がる接続線路こそ切られていますが、転車台が本当に良好な動態の保存状態で存在するのは全国的に見ても珍しいのではないのでしょうか。

ニセコ町転車台操作室

ニセコ町転車台拡大

 小学生の頃、C62 3号機を見学するため、当時C62ニセコ号の終着だった倶知安駅を訪れたことがあるのですが、その際は倶知安までの運転だったので、倶知安の転車台で転車していました。確かC62ニセコ号が復活したのは1988年4月。ということは、私が倶知安にC62を見にきたのは、1988年か1989年ということになります。

 

 こうした鉄道遺構がニセコ町では大事にされています。鉄道という観点からだけでなく、日本の産業遺構としての歴史的価値をもつこういった遺産を大事にしていく試みはとても良いと思います。一方、隣町倶知安の鉄道遺構は悉く失われていきます。嘆かわしいことです。

9643-ニセコの保存機に想う倶知安の79615の行末

 先日、ようやくニセコ町ニセコ駅前に用事で行く事ができたので、静態保存されている、大正時代の名機9600形、9643を見てきました。

 北海道で9600(キューロク)が初めて使われたのは、このニセコ駅がある函館本線、山線(小樽~長万部間)で、9600型は、ニセコ町ゆかりの深い形式です。

 ニセコ倉庫群の隣に9643はあります。しかし残念ながら、この日は前面煙室扉にはブルーシートがかけられ、さらには周囲にロープが張られており、立ち入りが出来ない様子でした。仕方なくロープの外から望遠でいくつか写真を撮ってきました。

大正の蒸気9643 斜め前から

大正の蒸気9643 斜め後ろから

大正の蒸気9643 真後ろから

 9643は、当初は国鉄機でしたが、晩年を私鉄で過ごしていますので蒸気末期にほとんどの国鉄機が装備していたATS発電機が付いていません。また、配管・配線類なども晩年まで国鉄で過ごした9600型よりも9643の方がシンプルでスマートな印象です。

ニセコ町9643 側方から

ニセコ町9643 テンダー前側
ニセコ町9643 タンク
ニセコ町9643 側面あたり

9600形 9643号機側面

 9643は、1914年12月 川崎造船所兵庫工場にて新製された9600で、新製後は国鉄の神戸局に配置されたようです。その後三重県の亀山機関区を経て、1937年3月、北海道に渡り、旭川機関区に移動・活躍ののち、国鉄機としては1948年6月に廃車となりました。

 しかし、その後、国鉄から日曹炭鉱天塩鉱業所に譲渡され、宗谷本線、豊富にあった日曹炭鉱の天塩鉱業所専用鉄道にて使用されました。1972年7月の天塩鉱山閉山後の9月に路線廃線とともに、9643も廃車となりました。

蒸気機関車9643 側面前
蒸気機関車9643 側面中
蒸気機関車9643 側面後

 1973年12月からは、サッポロビール園にて静態保存されていましたが、2017年6月、鉄道模型の「IMON」の代表である井門義博氏により、ニセコ駅隣接の町有地に移設され、2019年に上屋根付きの保存用の建屋が設置されて正式に公開されました。

9643全体

 9643がサッポロビール園にあったころ、一度見たことがありましたが、その頃は露天での保存でしたので、あまり保存状態は良くなかったように記憶しています。(昔写真を撮ったはずなのですが、データが見当たらず。)

 

 移設に際して塗装もしているようでとても綺麗です。また、専用の上屋根付き建屋で大事に保存されているので、保存形態としては非常に良好です。汽笛吹鳴や前照灯の点灯も可能のようです。9643の横にはかつてC62 3の動態復活運転の際に新得から移設され使われていた旧新得機関区の転車台もあります。こちらもちゃんと塗装をしていて素晴らしい状態になっています。

9643とニセコ駅の転車台

 ニセコ町には鉄道文化協会という組織があるそうなので、今後の保存状態もきっと良い状態を継続できるのではないでしょうか。

 

 一方、隣町の倶知安には倶知安で活躍していた2つ目の9600型(79615)があり、また倶知安機関区のゆかりの転車台もあるのですが、かなり保存状態(というか扱い)が悪く、ボロボロな状態です。

 転車台も新幹線の工事とともに撤去されると思われます。かつて地域の鉄道の拠点として栄えた倶知安町も、これらの町の交通の重要な遺産を大事に後世に伝えてくれれば良いのですが、もう手遅れな状態なのでしょうか。

函館本線ニセコ駅

 ニセコ駅は静かでした。かつては賑わっていた山線も数時間に1本の列車がある程度。新幹線が出来たら、在来線は廃止になりそうな気配。古き趣あるものは新しく便利なものに置き換えられる。時代の流れなのでしょうけど。