Antiquity in my Closet

我が子と近所に保存してある機関車をみていたら、幼少の頃父に買ってもらった鉄道模型を思い出し、40過ぎから模型工作を始めてみました。「鉄ちゃん」のイメージから、なんとなく家族には言えず、押入れの中にひっそりと・・・幼少のころ父とみた古の機関車の記憶。

C62 3号機 ディテールアップ 軽加工(その3) KATO C62北海道形から

気動車の作業が続いていましたが、今週はまた蒸気機関車に戻ります。蒸気機関車の花形。C62 3号機です。

KATO C62 3 ディテールアップ-2

KATO C62 3 ディテールアップ-3

 前に作業したC62 2号機と同様、C62 3号機にもメーカーズプレートを貼り付けました。C62 3も製造は日立です。KATOのC62 3にはメーカーズプレートの印刷はありますが、やはりレボリューションファクトリーさんのパーツは見た目が非常に良いですね。ちょっと離れても、少し汚しをしても、存在感があります。

KATO C62 3メーカーズプレート取付-1

KATO C62 3メーカーズプレート取付-2

KATO C62 3 ディテールアップ-1

 C62 3は、D52 458の改造車両という名義で、日立製作所笠戸工場で、1948年(昭和23年)6月18日に落成しています。第二次世界大戦当時、国鉄運輸省)には戦時物資を輸送するためD51形・D52形の貨物用の蒸気機関車が大量に在籍していました。しかし、終戦とともに軍事輸送の廃止、工業生産低下で貨物需要が激減しましたので、貨物用の蒸気機関車は余剰となってしまいました。

 

 一方、地方への生活物資の買出しや、戦地からの復員・引き揚げの影響で旅客輸送の需要が激増しました。旅客用蒸気機関車は戦争中に製造が中止されていたため、極端に不足していました。当時の大型旅客用蒸気機関車であるC57形・C59形の増備は追いつかず、また石炭の質の悪化により、性能も低下している状況でした。そのような状況の中で、この問題をクリアするための、より大型で強力な重量旅客用機関車を製造する必要に迫られましたが、占領軍の方針や資材の不足で機関車の新製は困難でした。

 そこで、余剰となっていた一部の貨物用機関車のボイラーを旅客用機関車に転用し、ボイラー以外の部分は既存の旅客用蒸気機関車C57形・C59形の設計を用いて組み合わせた機関車を「改造」名義で製造することになりました。これにより、D51形からC61形、D52形からC62形が改造されました。C61形は、C57形相当の乙線規格の機関車で、C62形はC59形相当の特別甲線での特急列車・急行列車の牽引を目的に改造されていますす。なお、D52形より転用されたボイラーは、戦時製造のため信頼性が低く、少数の早期廃車機を除いては後に新製ボイラーに換装されています。(C62 3は、1956年8月に鷹取工場にてボイラーを新缶に交換しています。その際、北海道向けの軸重軽減工事等が施されています。C62 3は北海道に一番早く渡ってきたC62です。

 

 製造銘板ということで、C62の製造にまつわる事を書いてみました。その当時の鉄道の技術開発、車両の製造には時代の背景が密接にかかわっていて面白いですね。特に現代よりも鉄道のニーズ、存在意義がとても高かった時代。現代は廃止や縮小が声高に叫ばれることも多い時代。しかし車両の開発は設計者と製造者の努力によって現代も進められています。全ての車両の設計者、製造者に尊敬の念を抱きます。

 

↓今までのC62 3のディテールアップの記事はこちら

antiquity-closet.hatenablog.com