記事をしばらく更新できていませんでした。そのうちに季節は冬。
冬は忙しく工作はほとんど出来ないのですが、そのような中、TOMIXのC57 135号機が入庫しました。
なぜ、KATOのリニューアルC57ではなくTOMIXなのか。たまたま中古で良さそうなものが安価だったことが第一です。他にはC57 135号機の特定機でキャブ密閉されている事でしょうか。デフや走行に関してはKATOの方が良さそうなのですが。保存機をモデルとした、このロッドの赤や艶のある黒も好きではないのですがね。
ただ、中古品のオークションもの。落とし穴がありました。届いたところ、足回りの片側のコンビネーションレバー(合併テコ)が外れているではありませんか。ガッカリですが仕方がありません。
子供の頃、KATOのC57を持っていました。今はもうそれは手元にはありませんが、当時気に入っていた機関車だった事を覚えています。
あの頃のKATOよりもさらにスタイルが良くなったTOMIXのC57です。細い印象を持ちました。本当によくできています。
ドーム前の手すりを見ても、KATOのC62よりもシャープな感じがします。C62のものは少し太い気がして別パーツに変えましたが、これは替える必要を感じません。
ただ、キャブ下の配管についてはKATOのものの方が雰囲気がでているような気がします。
残念なのは、合併テコですね。TOMIXのものは外れやすいと評判だとか。パンタグラフか何かで代用できるでしょうか。
さて、これから多分来夏にかけてになると思いますが、C57 135号機の加工を開始します。
今考えているのはC571次型の小樽築港機関区所属機です。
C57 135号機も良いのですが、135号機はデフの穴が大きく、築港区のC57の標準デフ化するときに少々問題になりそうです。有力候補はC57 57号機です。C57 57号機もデフ穴は大きい方ですが、C57 135号機よりはいくらか狭い感じがしたので、小樽築港機関区時代のC57 57号機を作ろうと考えています。
予定している大きなディテール変更の箇所は、
○テンダー台車を1次型のものに変更。KATOの新C57のものを使ってみます。
○デフを標準デフ化。前のコの字手すりは外す。
○重油併燃タンクをボイラに載せる。
○ロッド類の赤を消す。
○ナンバープレートの変更
○ボディの艶消し塗装化
○合併テコの修理
です。
思うようにできるでしょうか。今後のディテールアップ加工が楽しみです。
最後にC57 135号機の経歴を振り返ってみます。
1940年5月、三菱重工業神戸造船所で新製され、関東の高崎機関区に配属されます。
1952年4月に貸渡しという形で小樽に移され、そのまま移動となりました。小樽築港機関区に移ってから、重油併燃装置が取付けられているようです。1968年10月、函館本線滝川ー小樽電化により小樽での役割を終え、室蘭機関区に移ります。しかし、1年後の1969年10月には室蘭から現役最後の活躍の場となる岩見沢第一機関区に移動となります。
そして遂に、1975年12月14日、国鉄のSL定期旅客最終列車となった225レ室蘭本線・室蘭-岩見沢間を牽引します。
その後1976年3月31日をもって廃車となりました。走行距離は3,253,253.1km。
1976年4月には、東京都千代田区神田須田町の交通博物館に運搬され、以降、交通博物館にて展示されていましたが、交通博物館の閉館に伴い、2007年10月以降は、後継施設のさいたま市にある鉄道博物館に移設され保存展示中です。
状態は良さそうですね。C57 135号機復活、などあり得るのでしょうか。JRも厳しい状況ですし、今の観光業の打撃を考えると蒸気の復活は夢のまた夢ですよね。しかしながら九州の8620無限列車の繁盛ぶりを考えると蒸気機関車の復活はありなのかもしれません。
もしC57 135号機が復活、などということがあれば、加工後の姿も135号機にしておいた方が良かったかな?と思うかもしれませんね。