Antiquity in my Closet

我が子と近所に保存してある機関車をみていたら、幼少の頃父に買ってもらった鉄道模型を思い出し、40過ぎから模型工作を始めてみました。「鉄ちゃん」のイメージから、なんとなく家族には言えず、押入れの中にひっそりと・・・幼少のころ父とみた古の機関車の記憶。

キハ21 形 を鉄コレ雄別鉄道キハ49200Y形から製作 -3

今回もキハ21の記事です。
今回は下回り・・・とはいっても床下の装置は弄っていませんが・・・です。
作業は、台車の交換から始めました。雄別鉄道のキハ49200Yと国鉄キハ21は台車が異なります。雄別鉄道のキハ49200Yは、TR29タイプの菱枠形台車です。対して国鉄のキハ21形は10系気動車と同じく枕バネにゴムブロックのDT19台車でした。乗り心地は悪かったようですね。
 さて、雄別のキハから台車を外し、トミックスのキハ10形用のTR49形台車枠を付けました。鉄コレにはそのままトミックスのものは付きません。どうしたものかと考えていましたが、何となく現場合わせ的に、外径4.5㎜のプラパイプを写真のように薄く切り、ワッシャーのようなものを作り鉄コレに付いているピンのまま床板に嵌めました。

TOMIX TR49台車枠車輪は鉄コレのプラのものではなく、TOMIXの0654車輪に変えています。
良い感じに回ります。下の写真は交換後のTR49と交換前のTR29です。結構違いますね。

交換後のTR49とTR29

それから、カプラーなどを変更します。
カプラーはTOMIXのキハ22と連結するためTNカプラーとします。密自連形TNカプラーを使いました。また、TOMIX キハ20用のステップ付きのエアホースも併せて装着します。これはもう、またまた現場合わせ的にカットしたりしてエポキシボンドで貼り付けます。カットして削って、合せてみて・・・を繰り返しました。

TNカプラーとエアホース キハ21

トミックスのキハ22と並べてみました。エアホースが付くとそれらしくはなりますが、トミックスハイグレードと並べてはいけませんね。KATOの旧モデルよりは良いでしょうか。


そのようなことで下回りはOK。水タンクなども変えたいので、そのうちパーツ取りにキハ20を入手出来たらと考えています。

上物も少しだけ弄りました。
ライトです。ライトはWAVEのOP257 Hアイズ3から適当なサイズのものを選定して嵌め込みました。
それと、屋根の手すり2本を真鍮0.3mmで作り、穴あけ・取り付けました。雄別のキハ49200Y鉄コレにはこの表現がありません。TOMIXのキハ22にはあるのですが。鉄コレとの差でしょうか。

 

 最後に、タブレットキャッチャーの保護網を乗務員扉に付けました。0.5㎜メッシュのエッチング板を入手し、それをカットして接着しました。函館区所属のキハ21、キハ22はこのタイプの保護網が乗務員扉についているものが多くいたようです。インターネットの写真で見かける函館区所属のキハ21/22には大抵ついていましたので、実車を参考に付けてみました。

キハ21 乗務員扉のタブレット保護網

 そのような感じです。
窓はまだ付けていません。インレタを貼って、クリアを吹いてからです。
インレタはレボリューションファクトリーのキハ22用の函館区のものを使用する予定です。現在手配中なので、届いたらやります。

 キハ21形、だんだん形になってきました。 

キハ21 ライト取付・タブレット保護網

 

 過去のキハ21製作記事はこちら

antiquity-closet.hatenablog.com

 

キハ21 形 を鉄コレ雄別鉄道キハ49200Y形から製作 -2

 TOMYTEC 鉄コレ 雄別鉄道キハ49200Yからキハ21タイプの気動車を製作する続きです。ボディの工作を進めています。
今回はキハ21にはあってキハ49200Yには無いトイレ窓の加工、ベンチレーターの配置修正、前方屋根の継ぎ目埋め、ホース付きのジャンパー栓の取り付け、幌枠の取り付けを行い、全体の塗装までいってしまいます。

 トイレ窓の加工は、まず、下の窓の縁のRを削り角を四角くしてから0.5㎜のプラ板を嵌め込み、隙間をパテ埋めしました。その後、バス窓とプラで埋めた下窓を、ピンバイスとカッターでトイレ窓の大きさに開け、やすりで整形しました。
写真は下の窓にプラ板を嵌め込んだところです。

キハ21形 キハ49200yから-1

 ベンチレーターの配置修正は、前回取り付けた排煙管(ベンチレータ―)の位置が誤っていたことと、折角なので、それ以外のベンチレーターの位置も少し実物に近づけようと試みたものです。


 排煙管ベンチを所定の位置に。誤って付けた穴はパテでふさぎ、それ以外の位置を変更するベンチレータ―についても取り外し、元穴をパテ埋めします。その後これらのベンチレーターもキハ21の写真を見ながらそれらしい場所にピンバイスで取付穴を開け、取り付けていきました。

キハ21形 キハ49200yから-5

 また、屋根とボディーの接合面の前方および後方にラインが入ってしまうことから、この隙間も埋めています。これはパテで無く瞬間接着剤で埋め、やすりで削っています。

キハ21形 キハ49200yから-3

 ホース付きのジャンパー栓は、KATO ASSY Z04C0192 ジャンパ栓KE70を使用しました。見た感じ雰囲気出ます。ボディ側に穴あけして取り付けています。
 幌枠はタヴァサ PN604A 幌枠 気動車用です。そのまま接着しています。

キハ21形 キハ49200yから-2

キハ21形 キハ49200yから-6

 そしていよいよ塗装です。エアブラシを使用して、クリーム4号、朱色4号、灰色を重ねて塗っていきました。マスキングが下手で前面の朱色のラインが少し崩れています。残念ですが手直しするとさらに悪化しそうなのでこのままにします。全体的に少し淡いような感じがします。でもこれも目をつぶります。
 全体の塗装をしてしまうと一気に国鉄キハ21形気動車の感じがでてきます。

キハ21形 キハ49200yから-4

キハ21形 キハ49200yから-7

キハ21形 キハ49200yから-9

キハ21形 キハ49200yから-8

 今日はここまで。これから下回り(とはいっても台車の交換とTNカプラー取付くらいかなと思っています。床下機器はキハ21のものは雄別キハ49200Yと結構違うのですが、これを始めるとさらに時間と手間がかかってしまいます。完成形を早く見たいので、ここは目をつぶって一旦形にすることにします。いつかやります。)を仕上げて、ライトのクリアはめ込みと、窓パーツのはめ込み、屋根の小さな手摺2か所を付ける作業を予定しています。

 

C62 2号機 ディテールアップ 軽加工(その3) KATO C62北海道形から

 夏場少し忙しかったことと、Nゲージの他に製作していた木工の工作もあって、Nゲージの加工工作が出来ていません。
そんな中、少し前に入手していたC62 2号機のメーカーズプレート(製造銘板)を取付けしましたので、アップします。

C62 2号機製造銘板-3


 KATOの北海道形C62 2には元々メーカーズプレートが印刷されており、見た目そんなに悪くないのですがナンバープレートと比べて印刷された感がはっきり分かります。しかしながら現役時代のC62 2の写真を見ていると、煤で汚れてメーカーズプレートがほぼ目立たない写真も結構見かけます。ですので、メーカーズプレートはわざわざパーツ化しなくても良いかと思っていたのですが、「たまたま安価で入手出来た」という理由で付けてみた次第です。

 

 C62 2号機は1948年5月20日日立製作所笠戸工場で落成しており、製造銘板は「日立」です。レボリューションファクトリーの「日立」の製造銘板を取り付けています。ナンバープレートと同じような感じの見栄えとなりました。

C62 2号機製造銘板-1

 

C62 2号機製造銘板-2

 日立製作所笠戸工場は、1919年に山口県下松市の埋立地に立地した日本汽船笠戸造船所が前身となります。のちに日立製作所がこの造船所を取得しましたが、造船を手掛けていなかったことから、「笠戸工場」として鉄道車両の製作に振り向ける事となり、1924年に国産第1号となる大型機関車のED15形電気機関車を完成させ(笠戸工場は機械部分を担当)ています。C62については設計を主導し、量産試作機(C62 1 - 4)の製作も担当しており、C62 2号機もその1両となっています。現在も鉄道車両の製造は継続されており、現在は製作されている車両のほとんどが電車ということです。JR向け、民鉄向けを問わず幅広く扱っており、新幹線向けの車両製造も多く手がけているようです。

 

C62 2号機製造銘板-4

C62 2号機製造銘板-5

 日立といば、「この木なんの木」を想い出しますが、私は蒸気のキャブに輝く製造銘板も想い出されるのです。 

 過去のC62 2の記事はこちら↓

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C11 171号機の軽加工 - 2 (トラムウエイC11から)

 久々のC11トラムウエイのディテール加工の記事です。C11 171号機に近づけるように加工をしています。C11 171号機は動態保存機で現在も活躍中ですが、加工のモデルはC11 171号機の現役時代、まだ北海道・道南の長万部機関区に所属していた時代です。

C11 171号機の加工-1(トラムウエイC11)

 今まで行った加工は、北海道仕様のSLに定番の、バタフライスクリーン、ドーム前手すり、テンダーの蒸気暖房管の追加、そして前後の標識灯、増炭囲い、公式側の速度検出装置、泥だめ、乗務員ステップの各パーツの追加、後方カプラーのKATOナックルへの交換でした。


 今回は、後方側のスノープロウと、二子三方コックの追加、さらに前回追加したものの、C57パーツセットに入っていたものを使ってしまったため、ちょっと大きすぎた泥だめを銀河モデルのC11用に変更します。

 

 まずは、スノープロウです。長万部時代のC11 171は複線用のスノープロウを付けていたようです。瀬棚線や長万部黒松内などの単線区間を多く走っていた蒸気と思いますが、なぜ複線用なのでしょう・・・と疑問が残りますが、どの写真を見ても複線用なのです。

C11 171号機の加工-2(トラムウエイC11)

 スノープロウは、銀河モデルの気動車用の複線用のスノープロウを使いました。C11の後部台車を外し、現物合わせで色々な箇所を削り、スノープロウを台車にはめ込みました。しかし、その台車を弄っている作業の途中で、台車からの集電コードの半田付けの箇所が取れてしまい、集電不良に陥ってしまいました。再度半田付けを試みましたが、このコードの長さがギリギリで、私の未熟な技術では思うように半田付けができません。そこで、極細のリード線を入手しリード線の延長を行い、無事修復できました・・・が、走行はギクシャクするようになりました。また今度集電関係のチェックなどを再トライしてみます。今は疲れました。トラムウエイのC11は扱いが難しいですね。プロポーションは良いのですが。
 これだけで、久しぶりのC11 171号機の加工は出だしから挫かれました。

 

 二子三方コックも銀河モデルのものです。これは非公式側のキャブ下に付けます。銀河モデルの二子三方コックに接続している配管を真鍮線で付けています。泥だめも銀河モデルのC11用です。前回付けたものを外し付け替えました。

C11 171号機の加工-5(トラムウエイC11)

C11 171号機の加工-6(トラムウエイC11)

 今回の作業はここまでです。下は今の時点でのC11 171号機の写真たちです。接着剤のはみ出し跡や、塗装の粗さがあって、とても完成度が低いですが、今の時点このような感じ・・・。

C11 171号機の加工-7(トラムウエイC11)

C11 171号機の加工-4(トラムウエイC11)

C11 171号機の加工-3(トラムウエイC11)

C11 171号機の加工-8(トラムウエイC11)

 C11 171号機がけん引するJR北海道の「冬の湿原号」は2020年の冬の運行で20周年を迎えたようです。現在のコロナ禍の中、この冬の運行はどうなるのでしょうか。JR北海道の路線を走る唯一の蒸気機関車 C11 171には、長く北海道の大地を走ってもらいたいものです。そのような願いを込めて、現役のC11 171号機のディテール加工の作業は続きます。

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↓今までの加工作業の記事はこちら。

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 ↓種車はこれです。

キハ21形 を鉄コレ雄別鉄道キハ49200Y形から製作 -1

 先日、キハ22形が入線し、レトロな気動車の工作にも興味が湧いてきたこの頃。私が工作のモデルとしている蒸気機関車の活躍の舞台であった道南地区を走っていて、幼少の頃に函館に出るときによく乗車した「急行せたな」やローカル列車の写真をネットで見ていました。するとキハ22形ではないバス窓の気動車での運用があることに気づきました。それがキハ22形ではなくキハ21形。蒸気時代の気動車の写真は結構キハ21であることが多いのです。このキハ21形は、北海道向けのキハ20形。キハ20形に耐寒装備を盛り込み、寒地向けとして1957年に製造された形式です。バス窓の列車はいかにもレトロ。キハ22形はレトロな雰囲気はあるものの、窓が近代的な感じがすると感じていた私にとって、このキハ21形は魅力的に映りました。

 キハ21は、客用扉の下側の明かり窓がないこと以外はキハ20形と同じです。しかし残念ながら、Nゲージの模型の既製品のキハ20は、バス窓ではなく、昇降式の窓なので改造は結構大変そうです。


 それで見ていたら、トミーテック鉄コレの雄別鉄道キハ49200Y形からキハ21形を作っている方が多かったので、これを倣うのが良いのかなと考えていました。そのうち・・・と思っていたら、先日この種車が800円ほどで入手できました。しかも無塗装。これはやるしかありません。

  少し話が外れますが、せっかくなので雄別鉄道について、少し記述します。


 雄別鉄道(ゆうべつてつどう)は、釧路市にある根室本線釧路駅から、釧路市阿寒町の雄別炭山駅までを結んでいた鉄道路線などを運営していた炭鉱鉄道会社。

 釧路 - 雄別炭山間(雄別本線)が開業したのは1923年(大正12年)で運営は北海炭礦鉄道であり、翌年、北海炭礦鉄道から雄別炭礦鉄道に社名変更されている。1959年、雄別鉄道を設立し同社に鉄道部門(釧路 - 雄別炭山間、新富士 - 雄別埠頭間)を譲渡という形で雄別鉄道が誕生したが、1969年、茂尻鉱で発生した人身事故が原因で廃坑となり1970年2月以降の社員の給与支払いの見通しがたたなくなるほど急激に資金繰りが悪化したことで雄別炭礦も閉山し、同年4月に住人の移転作業が終了し鉄道業務も停止している。(Wikipedia参照)

 雄別鉄道には気動車が6両あり、そのうちの1両が1957年新潟鐵工所製のキハ21形の同型車、キハ49200Y形でした。 

 

鉄コレ 雄別鉄道キハ49200Y-1

鉄コレ 雄別鉄道キハ49200Y-2

 もうほとんど同じ加工をされている皆様のインターネットの情報で書かれていることですが、キハ21形の設計がベースになっているこの雄別鉄道キハ49200Y形とキハ21形は異なるところが結構あります。

 ○台車がTR29のアーチバーを採用
 ○床下排煙なので、排煙管が屋根上に無い。そのため窓が均等配置。ベンチレータ―の配置も違う。
 ○トイレが省略されている。
 ○ヘッドライトがシールドビーム。テールライトも違う。
 ○タイフォンの形・数
 ○デフロスタが無い

など、結構あるのですが、今回、窓の配置とベンチレータ―の配置を変える事は諦めます。そのほかの加工はやってみようかなと思ってます。


昨日から作業開始です。
まずはボディと床下、窓などをばらし、ボディの加工に入りました。

鉄コレ雄別鉄道 キハ49200yからキハ21製作-2

屋根からです。
屋根には排煙管(ベンチレータ―)を追加しました。キハ10系用のボナファイデのパーツです。1㎜の穴を開け固定しました。

鉄コレ雄別鉄道 キハ49200yからキハ21製作-5

そしてタイフォンです。モデルは函館区所属のキハ21-1です。ヘッドライト横のタイフォンは2つ割れのタイフォンカバーではなく、○形のスリットも何もないようなものになっています。やすりで成形しました。また、テールライト横のものはボナファイデのタイフォンカバーのパーツを付けています。
運転台周りではタブレットキャッチャーを付けました。これもボナファイデのパーツです。

鉄コレ雄別鉄道 キハ49200yからキハ21製作-1

ヘッドライトはピンバイスで穴を1.5mmに広げました。ここにWAVEのH-EYES mini3 クリアを入れる予定です。
テールライトも周りのモールドを削り、1mm穴にしました。これにもWAVEのレンズを入れます。

また、片方の運転台の向かって左の屋根まであがる手摺を削りました。

↓手摺あるほう

鉄コレ雄別鉄道 キハ49200yからキハ21製作-3

↓手摺無しのほう

f鉄コレ雄別鉄道 キハ49200yからキハ21製作-5

昨日の作業はこれだけ。次はトイレ窓を作る作業をする予定です。その後下回り。最後に色塗りの工程です。
どちらにしても、時間をかけてゆっくりと作業をすると思います。色を綺麗に塗れるかが不安です。

D51戦時型 (D51 1017)のディテールアップ工作-了

とある理由から、ディテール加工をしたD51 1017号機の写真を撮りました。特に今回は作業をしていません。残り作業としてキャブの後妻の加工があるのですが、いつやるかわからないので、これを機にマイクロエースD51戦時型ディテールアップを了とします。

D51 1017 (D51 戦時型)-1

D51 1017 (D51 戦時型)-2

D51 1017 (D51 戦時型)-3

 

D51 1017 (D51 戦時型)-7

マイクロエースD51戦時型 (D51-1002号機 船底テンダー)から、晩年は北海道で活躍したD51 1017号機をモデルに加工しました。
D51 1017号機はD51戦時型の特徴であるカマボコ型ドームのD51です。SL末期の1966年に本州から北海道に転属してきた機関車ですが、キャブの密閉はされていない開放キャブのD51戦時型、且つ北海道仕様です。
 1944年に製造され、本州では富山(1947-1949)→高知(1949-1959)→長野(1959-1963)→稲沢第一(1963-1966)と移り、1966年北海道に渡りました。北海道では、追分(1966--1967)→五稜郭(1967-1972)→長万部(1972-1973)→岩見沢第一(1973)と移動、1973年11月30日に廃車となりました。

D51 1017 (D51 戦時型)-4

マイクロエースD51戦時型からの加工は、全般的に北海道形D51へのディテール工作をまず行っています。蒸気暖房管やバタフライスクリーン、旋回窓、キャブ防護ネット、ドーム前手すり、タブレットキャッチャー、切詰デフへの交換、標灯や副灯の装備などなどです。これらのディテールは、D51 1017号機が、五稜郭機関区に所属していた1968年頃の写真をもとにしています。

D51 1017 (D51 戦時型)-5

D51 1017 (D51 戦時型)-6

そして、マイクロエースの機関車のネックである車高の調整(車高下げ)と機炭間の短縮工作を行いました。
モーターはBトレインショーティーのものに換装・小型化し、キャブからのはみ出しを無くしました。

D51 1017 (D51 戦時型)-8

D51 1017号機に特徴的なディテールとしては、

①デフの形状(上部の折れ曲がりが無く真っ直ぐで、点検口が細長い)
②皿型の回転火粉止(これは1968年当時に限った装備のようですが、皿型の火粉止が好きでこれにしました。)
③テンダーの重油併燃タンク テンダーの重油タンクがどういう形状だったか、重油タンクが写っている写真がほとんどありませんでした。ぼんやりと写っている写真が1枚あったのですが、ちょうどマイクロエースD51戦時型(D51 1002号機)にデフォルトで積んであるタンクに形が似ているものの、背が低い・・・ような感じに見えたので、そのように加工してみました。(写真写り?で違うかもしれません。D51 146等に積んであるものとちょっと違う感じがしたのです。)

でしたので、そのあたりを表現しました。

D51 1017 (D51 戦時型)-9

また、市販のナンバープレートでは、1017号機のものが見つけられなかったのでステッカーシートで自作しています。
(RLFの旧製品でD51 1017が入っているエッジングパーツがあったようなのですが、残念ながら在庫しているお店を探すことはできませんでしたので、最後の手段ステッカーシートです。)

D51 1017 (D51 戦時型)-10

↓今までの加工作業の記事はこちら。

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マイクロエースの機関車は、現代のKATOのものに比べると残念ではありますが、手を加えたくなるところがたくさんあり、また、何か気兼ねなく加工に突っ込める・・・感じがします。最近のよくできたKATO製では、手を加えることでディテールがマイナスになってしまうのではと躊躇してしまいます。
そういう意味ではマイクロエースの機関車はとても楽しい模型だと思います。 

 しかし機会があれば、次回はやはりリニューアルKATOのD51D51戦時型を製作してみたいですね。

C62 3号機 ディテールアップ 軽加工(その2) KATO C62北海道形から

 先日のC62 2号機の加工に続いて、C62 3号機も同様の工作を施しました。

C62 3号機 (KATO C62 北海道形) -公式側

C62 3号機 (KATO C62 北海道形) -非公式斜め

 私が見たことのある「動いている蒸気機関車」は数少ないのですが、記憶の中で一番最初に見た蒸気機関車が、当時復活して小樽-倶知安間を走っていた(その後ニセコまで延長されています。)、このC62 3の牽引するC62ニセコ号でした。

 

 当時小学生だった私が倶知安駅で迫力あるこの蒸気機関車を目の当たりにした時の興奮はどれほどだったでしょうか。今でも鮮明に当時の情景が目に浮かびます。モクモクと蒸気を吐き出し動く姿。倶知安の転車台にC62 3がギリギリ一杯に乗っかり向きを変える様子。地元の町にももちろん転車台はありましたがもう動いていなかったので、機関車が載って回転する転車台を見たのも初めてでした。

 

 そういえばこのC62 3が牽引するC62ニセコ号で当時使用されていた客車(スハフ44 6と7)は、以前記事にもした、D51286と59614とともに小樽のワイン工場に静態保存されていますが塗装や外装はボロボロです。

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 C62ニセコ号の経験から30年余。鮮明に残る当時の記憶やインターネット上で見ることができる当時のC62ニセコ号の映像と、実際に見ることができる静態保存のスハフ44の損傷具合に、30年の現実を思い知らされます。随分時間が経ちました。もうC62 3の復活は望めない「夢」なのでしょうか。

 
 C62 3号機が現役時代過ごしたのは小樽築港機関区。そして、1985年にC62 3が復活した際も、手宮の北海道鉄道記念館(これは当時の名前で、現在の小樽市総合博物館です。) から小樽築港機関区に持ち込まれC62 3の仮復旧が行われています。小樽築港機関区の扇形庫(ラウンドハウスという呼び方のほうがカッコいいですね。)は道内最大で半円を超える30線あったそうです。

 

 残念ながら、今ではこのラウンドハウスを含めて小樽築港機関区の遺構は存在しません。1990年10月に小樽築港機関区解体工事が開始され翌年には全て解体されてしまいました。私もたまに行くのですが、今はウイングベイ小樽という商業施設とホテル、マンションが建っています。ここがC62やD51がひしめき合って動いていたあの小樽築港機関区の上だということをふと思いながらウイングベイで買い物をしています。

 

 さて、前置きが長くなってしまいました。
C62 3号機の模型のディテールアップ工作の話に戻ります。もちろんベースはKATO C62北海道形 C62 3号機です。今回はC62 2号機の工作と大体同じ箇所をディテールアップしています。

C62 3号機 (KATO C62 北海道形) -公式側面

C62 3号機 (KATO C62 北海道形) -非公式側面


①空気作用管の配管止め・・・「Nゲージ蒸気機関車」様のサイトを参考にしています。細切りした黒塗りマスキングテープを所定の場所に貼っています。C62 2号機とは場所が少し違いました。2号機の作業と同様、マスキングテープの粘着が弱く、細かな作業で折れそうになります。

 

②ATS車上子の交換・・・銀河モデルのパーツです。テンダーを分解し、KATO純正のものを切り取り、裏側から銀河のパーツを貼っています。

C62 3号機 (KATO C62 北海道形) -非公式後部

③蒸気暖房ホース・・・C62 2号機のものは自作だったのですが、ちょうど銀河モデルのパーツが1つ余っていることが発覚しましたので、今回はこれを付けました。結果やはりC62 3号機のこのパーツの方がC62 2の自作のものより見栄えが良いです。

C62 3号機 (KATO C62 北海道形) -後部

④テンダー後部のネズミ返しのゼブラ塗装・・・ラベルシールに自作デザインのゼブラ模様を印刷貼付。

 

⑤デフ‐ボイラに渡す架線注意表記・・・0.2mmの真鍮線をデフ-ボイラに渡し、レボリューションファクトリーの架線注意ステッカー貼り付け。

C62 3号機 (KATO C62 北海道形) -前面

⑥ドーム前手すり交換・・・銀河モデルのものです。KATOのファインスケールのリニューアルC62には明らかにオーバースケールのものです。C62 2と同様、線の細さを優先し、採用しました。C62 2号機よりも左右の縦部が垂直に切り立っているC62 3号機のドーム前手すりはKATO製品でもそのように表現されています。今回の銀河のC62 3のドーム前手すりは手すりの左右の角を少し切り、そのようになるように細工しました。いかがでしょうか。

C62 3号機 (KATO C62 北海道形) -非公式側

C62 2 と C62 3 ドーム前手すり比較

⑦増炭版・・・KATO製品のC62のテンダー増炭版の木目を表現した波々模様が不自然なので、模様をやすりで削ってしまいました。

 

⑧副灯(シールドビーム灯)の縁をシルバー塗装・・・ガンダムマーカーのシルバーを使って副灯の縁をシルバーに塗りました。C62 2号機もついでに塗りました。前面のアクセントになってこの銀色はいい雰囲気です。

C62 2 と C62 3

 ↑先日加工したC62 2号機とC62 3号機を並べてみました。少し暗くてわかりづらかったですね。

 

 そして以下は、C62 2号機にはない、C62 3号機に特化した工作です。

 

⑨空気圧縮機(コンプレッサー)へ繋がる蒸気管の形状・・・模型のデフォルトではボイラーに沿ってこの蒸気管が走っているのですが、C62 3号機のものは空気作用管を避ける形でここだけ上に浮かせて走っています。これを表現しました。
元のモールドを削り、途中から0.3㎜の真鍮線を実車の蒸気管の形状に整形して取り付けました。元のモールド跡が少し残ってしまいましたが、遠目には分かりません。この蒸気管はC62 2号機とかなり異なる特徴です。製品でも表現してほしかったところです。

C62 3号機 (KATO C62 北海道形) -空気作用管

 本日の作業は以上です。
昨年はほとんどD51に掛かってばかりでしたが、C62 2とC62 3へのディテール加工を少しやって、C62もさらにもうちょっとできるところはないかなと模索中です。パイピングを引き直すなどやれば切りがないと思いますが、製品のモールドを活かしたうえでちょっぴりディテールアップできればと考えています。
さて、次はどうしよう。

↓ ベースの模型はKATO 2017-3 C62 3北海道形

 ↓ 過去のC62 3の記事はこちら

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